ベニー君のビデオです。ミヒャエル・ハネケの初期作品ではテレビ映像が大きな意図を持って映画中の色んなものの対比として頻繁に登場します。
本作ではそのテレビ映像がビデオ映像となって、さらにそれに取り憑かれている若者を描く事によって、ダイレクトに虚像と現実に挑みました。
映像の中の映像が他作品よりもさらに頻繁に登場します。映像の中に映像があるとも言えるし、映像の外に映像があるとも言えるんですね。
現実感と非現実感。表層の多重構造は映画を見ている我々も包み込みます。
テーマの本質以外の部分も含めて、いろんな意味で今日の映画に影響を与えたであろうショッキングシーンや恐怖心を煽る第三者視点の映像が目白押しです。
1992年の作品ですから、今見ればビデオという機械からちょっとした古い感覚を受けるかもしれません。今ならパソコンやネットが脚本に絡んでくるかもしれませんね。
しかし本質的にこの映画には何ら古めかしさはありません。それどころか、虚像と少年の内面のうんたらかんたらってテーマは、さらに次のステップに突入していて、一歩も二歩も先に進んでいます。「現実から遠ざかるビデオ漬けの少年」という一つのテーマだけではないのです。
主人公の少年ベニーは、自分で撮影した豚の堵殺ビデオやなんかに魅了されていて、部屋から出るのはビデオショップへ行くときだけという過保護系の引き籠もり君です。
実はベニー君を演じるのは「ファニーゲーム」の厭な厭なあの男、アルノ・フリッシュなんですが、ファニーゲームより後にベニーズ・ビデオを見ると「こいつが成長してあんな犯罪者になったのか!」とか虚構と現実の区別がつかない訳の分からないことを思ったりもします。
で、そのベニー君が街で知り合った少女を自宅へ誘います。
ここで面白いと思ったシーンは、熱々のピザを前に、冷めるまで手を出さないことなんですよね。「熱いから冷めるまで待とう」って。
あつあつのピザがあるのに何故冷めるまで手を出さないのか。あつあつ大好き日本人から見ればこれはちょっとしたカルチャーショックです。
もしかして外人は猫舌であると昔聞いた都市伝説、あれ本当なのでしょうか。
しょうもない話はともかくとして、この「ベニーズ・ビデオ」は「セブンス・コンチネント」(1989)に次ぐハネケ監督2作目の作品です。その次の「71フラグメンツ」(1994)と合わせた三作が初期の「感情の氷河期三部作」と言われている作品群ですね。本人が言っているのでしたっけ。「三部作」って言葉、みんな好きですね。
この三作はほんとに凄まじいです。
これら作品から受ける衝撃や厭な気持ちや現実感や非現実感がいったいどこからやってくるものなのか。そういうことを考えるのは見終えて時間が経ってからになると思います。なぜなら、見終わって直後は衝撃波を受けて脳味噌も身体も硬直してしまっているからです。
2009.03.24