この映画、山上たつひこの短編マンガを思い出すんですよね。
小学校作文コンクールに優勝した主人公が、毎年毎年小学生作文コンクールに応募し続け年老いていく話です。
幼い頃から絵が上手い主人公が画家になること、あるいは画家であり続けることを目的に、画家あるいは画家を目指す人間にありがちな羞恥の実態を散りばめながらその駄目っぷりを描きます。
これを見て画家あるいは画家を目指す人間はいくつもの思い当たる節を発見して身もだえして恥ずかしがるでしょう。笑いながらも冷や汗が出るでしょう。怒り出す人もいるかもしれません。
よくもまあこれだけ自称画家の恥ずかしい実態を描ききったものです。
しかしここまで徹底して恥ずかしい自称芸術家の実態を見せ続けられると、だんだん芸術家としてピュアにも見えてくるから不思議です。
そもそも芸術家というのは社会的には単なる駄目人間です。社会適応能力に劣り、生産的な行動が出来るわけでもなく、ちょっとばかしの才能と営業能力以外は犯罪者や精神疾患患者と何も変わりません。
北野武氏は成功しない芸術家を見下す冷酷な眼と彼らを応援しようとする人情派の眼の両方を持ち合わせている節があります。彼の目から見た画家であることにのみアイデンティティを持つ駄目人間を、こき下ろしつつ愛に満ちた対象として描くという妙なことをやってのけたのが本作の大きな特徴でしょう。
この映画、何やら夫婦の愛についての映画であると宣伝されていたところがありますが、実際それを象徴するラストシーンもあんな風なんですが、これに関して北野監督は「わざとああいうサービスをした」と言います。
映画会社が「夫婦愛で押してくれ」と要望していたらしいですが、北野監督は冗談めかしながら「そうではない」と言います。どう見ても夫婦愛の映画ではありませんよね。駄目人間の物語であり、妻は犠牲者です。でもマゾなのか、ずっと付き合うんですよね。
面白いです。
2009.03.17