オープニングから息つく暇もなくアーティスティックな映像と演出でぐいぐいと惹き付ける映画です。名作の予感すら感じさせます。
冒頭から序盤、そして驚きの展開。「戦場のピアニスト」で味のある妙技を見せたエイドリアン・ブロディの鬼気迫る演技。これは一体全体、どういう種類の映画なのか。
スタイリッシュでスピーディなくせに重厚で深みのある物語になっていきます。
冒頭、序盤、中盤とますます名作の香りに包まれながら、映画的興奮に酔いながら、名作級作品に出会えた喜びに打ち震えながら見続けることになります。
この手(洒落た映像、凝った演出、突飛な物語)の映画なのに役者の演技も大変よろしいのです。 ちゃんとした映画というと五平餅もとい語弊もありますが、ちゃんとした映画のような演技の深み、物語を構築しています。
これほどの良作がなぜ歴史に名を残していないんだろうと疑問に思ったりもしながら映画はクライマックスへ突入です。
そこで描かれるあの人のあの顔のシーンでじわーっ。なんていい顔。なんという良いシーン。これは名作確定っ。とマジ映画を観ながらずっと酔いしれていました。
さて先に答えをバラしますと、この映画、クライマックスを迎えた後、驚愕のラストシーンを迎えます。かつてこれほどのラストシーンがあったろうか。うん。けっこうある。
いやつまり、この名作認定寸前の映画は、ラストシークエンスで己のすべてをぶち壊しにしました。今まで描いてきたことの全てを台無しにして、思わずずっこけて椅子からずり落ちるくらいのハッピーフィニッシュを持ってきたんだから驚愕以外の何ものでもありません。しかも演出すら典型的な軽々しいお茶目エンディングの技法にすり替わってしまいます。映画の調子自体が変わってしまうのです。
これは「ブラジル」をハッピーエンドに編集した犯罪的改悪 と同等かそれ以上の仰天エンディングと言えましょう。
この映画は、ラストをなかったことにするとすんごい名作、ラストを受け入れると、ただのお洒落もどきのありきたりなつまらない映画、とこういう判断になります。
これは製作陣に何かがあったとしか思えない。
何かの間違いで別の脚本が紛れ込んだのか?
上司やスポンサーからの変更命令か。
試写会で愚衆にブーイングを喰らってラストだけ作り替えたのか?
それを受け、製作陣が全員怒り狂って「そんなこと言うんなら、ほれ、このような間抜けで脳天気なハッピーエンドを用意してやるよ!これでいいんだろ、ボケ」という怒りの表明なのか。
エンディングだけ妙に脳天気な映画はアメリカ製映画ではよくみかけます。大人的事情でそうなったであろう事は明らかです。
我々観客が想像している以上に、ハッピーエンディングへの容赦ない圧力があるのは事実で、それを受け入れなかったためにスポンサーが手を引いて製作できなくなったりインディーズへ格下げ喰らったり、配給を止められてしまうこともよくあるのだとか。
まさか今時そんなことが平然と行われているとは信じ難いかもしれませんが、事実は事実であります。
と、ここまでは製作陣の肩を持った意見ですが、もしかしたらですよ、もしかしたら、製作陣が本当にこのような間抜けなハッピーエンディングを目指していた可能性ももちろんあります。
「ちょっとこの映画、重すぎたからさ、最後はぱーっと終わっちゃおうよ」
「そうだね、ぱーっと行こうよね、ぱーっと」
「 やっぱラブコメ風ハッピーエンドは映画の基本だよね」
「このオチに文句いうやつってさ、どうせ映画マニアでミニシアターとか好きな奴ばかりだよな」
「そうそう、あいつら、みんな馬鹿」
「金払って辛い思いを求めるマゾ」
「ヨーロッパ映画見とけよなって感じ」
・・・・書いてていやな気持ちになって参りましたので今日はこのへんで。
へんてこりんなオチに我慢できる人には、それ以外の部分ではきわめて良作ですのでおすすめです。
私は絶賛と残念の両極端な感想を持ちまして、ムズムズ落ち着きのない気持ちを何年も引きずってます。