アルゼンチンからポーランドへの旅
アルゼンチン、スペイン製作の「家へ帰ろう」は日本では2018年から2019年にかけて公開していたハートフル老人ロードムービーです。老人がひとりでポーランドへ向かいます。
まず飛行機でスペインに、その後は列車でポーランドまで向かいまして、ポーランドはこの老人の故郷なんです。老人はポーランド人ですが70年間アルゼンチンで暮らしてきました。彼はポーランドにいる友人を訪ねようとしているんですね。そしてこの老人にとってポーランドへの旅はかなりの難関です。
というのも、主人公は老人で足が悪いです。歩く姿も痛々しいくらいなのに長距離をひとり旅。きつそうです。
それから心理的要素でこれが大きい。まず「ポーランド」と口に出すことができません。口に出すこともできない凄惨な過去を持っています。目的地を口に出せないから切符も買えません。代わりに紙に書いて見せます。
それからドイツに対しては憎しみを伴う恐怖を現役で引きずっています。ドイツには一歩たりとも足を踏み入れたくないと考えています。でもドイツを通らないとポーランドに行けません。どうしましょう。という話も挟まれます。
ポーランド侵攻
さて9月1日という日付は私個人がこの映画を観た日付でありますが、1939年9月1日はナチス・ドイツがポーランドに侵攻した日です。2019年の今年で80年です。
1939年9月1日、ドイツと同盟国がポーランドに侵攻しました。17日にはソ連が侵攻しました。
ポーランド侵攻は市民の犠牲も多く、空爆での一般人や捕虜の虐殺、知識層、芸術家、社会的指導層に対する虐殺、後世に名前が残るレベルの無差別虐殺が複数起こりました。-> wikipedia ポーランド侵攻
ドイツとソ連、この二国がそれぞれ別の方向から小国ポーランドに侵攻する様を映画で描いたアンジェイ・ワイダ監督「カティンの森」の橋のシーンが強烈に印象に残っています。「カティンの森」以外でも、映画で描かれた占領下のポーランドは「ブリキの太鼓」「戦場のピアニスト」「ソハの地下水道」などいくつもありましたね。
主人公
「家へ帰ろう」の主人公老人はユダヤ人の仕立屋ですのでホロコーストの生き残りです。家族や親族は芸術方面の人たちが多く、バイオリリン弾き、アコーディオン弾き、そして物語をつくる天才の妹などがいたという設定です。映画の冒頭は、音楽を奏で皆で踊るシーンからです。
映画の途中で出て来るシーンで、幼い妹が自作物語を語るシーンがあります。その物語の美しいことったらありません。最初は自作と思わなくて、名作を暗記して披露しているシーンかなと思ったくらいです。「家へ帰ろう」は脚本がとても優れていて、細かい部分のセリフや言葉が輝きまくってるんですよ。
旅と人
旅する話ですので物語の拠点が変化していきます。最初はアルゼンチンの自宅のシーンから旅に出るまで、次にマドリッドへ到着してのお話、そして列車に乗るお話、最後はポーランドに到着します。
旅の映画と言えば何ですか。旅と言えば人との出会いです。人と出会いエピソードがあり次の場所に移動してお別れします。こういうお話で重要なのはそのエピソード、もっと言えば会話、つまり細かな脚本部分となります。
「家へ帰ろう」のプロットは70年ぶりに恩人・友人と再会しようというお話で、実にシンプルなものです。ホロコースト絡みですから辛い思い出とセットで、ある程度どのような感動が待ち受けているか想像しやすいことでしょう。ありきたりなものと決めつけてしまうかもしれません。でも違います。「家へ帰ろう」にはとてつもない魅力があります。それは全体プロットではなくて細部にあります。ある誰かとの出会いと対話です。この部分に力が宿っていて私はこの映画、人との関わりシーンにおけるセリフ、脚本に痺れまして、途中途中「これはおもろい!」「これは良い言葉!」「この人なんて魅力的!」と心で叫びっぱなしでした。
会話
具体的に挙げてしまうと野暮なので抑えめにしますが、冒頭近くの孫との会話からして妙に細かくて長ったらしくて、ここで脚本の魅力に最初に気づきますね。
主人公は家と家族との最後の日を送ります。みんなで記念写真を撮りたいのですが孫娘は「あたし写真きらいなの」と交ざりません。老人「何が欲しいんだ。買ってやるから写真撮ろう」「iPhone6がほしいの」「何だそれは。それいくらするんだ」「1000ドル」「馬鹿言っちゃいけねえ出せて200ドルだ」「写真は諦めてね」「むむむ、400ドルでどうだ」「お話にならないわ」「600ドル」「ケチったばかりに写真を取り損ねたわね」・・・みたいな感じで交渉が続きます。交渉の顛末は見てのお楽しみなので取っておきますが、冒頭からこのしつこい会話シーンは個人的に大層ツボでして、この映画が脚本に魅力ある系で好みの作風であるといち早く合点します。
空港へ向かうタクシーに乗ると気のいい運転手が「おじいちゃん、どこまで?」と訊きます。「わしはお前の祖父ではないぞ」なんていう会話も出てきます。
マドリッド
映画の全編中、スペインマドリッドのシーンがとにかく素晴らしいんです。「家へ帰ろう」のメインと言っていい。
飛行機でスペインに向かう機内ではエル・グレコの絵に出てくるイエスさまみたいなスペイン顔の兄ちゃんとの対話です。老人「やあ」青年雑誌を読んでいて無視。「何読んでるんだい」「雑誌」「見りゃ判る。何の雑誌?」「音楽の雑誌」「君はミュージシャン?」こんなふうに始まる機内の青年とのしつこい会話シーンも爆裂良いです。
マドリッドに到着すると「ホテルマドリッド」にアンヘラ・モリーナがいて張り紙に「相談に応じません」とか書いてあります。ホテルの女将マリアとの会話が始まります。「やあ、旅行代理店のものだが、30人で1週間泊まる計画があるけど一泊いくら?」「15」「じゃあ、夜まで休ませてくれ。はい15」「一泊50だよ」「いま15て言っただろ」「30人一週間の値段だよ。50出さないなら余所にどうぞ」
アンヘラ・モリーナとの一時はこの映画で至上の時をもたらしてくれます。
何しろこのマドリッドでのシークエンスは最高です。で、重要です。この後老人は列車に乗って旅立ちまして、映画の後半、ドイツでは学者であるという優しいドイツ人女性、ポーランドではまたまた優しい看護師女性と出会います。いきなり後半の良い人が出てきたら偽善的と思う人がいるかもしれませんが、マドリッド編でコミカルさや人情を表現し尽くしましたからこれを許容できるんですよ。
映画的には後半に差し掛かり、老人の生い立ちに触れたりして深刻な話にもなってきます。同時に、出会う人の良い人レベルが跳ね上がり、嘘くさいけどこんな良い人に出会えて良かったねと泣けてくるわけですが、その分笑えるシーンは影を潜め、個性的ではあるけれどぶっ飛んだ会話の妙技を楽しむという映画ではなくなってきます。
嘘くさいくらい良い人
私は嘘くさい良い人が登場することに何の問題も感じないどころか、映画ならではの極端なこうした良い人の出現を全面的に肯定します。こう書いていて思い浮かぶ映画があります。「バビロンの陽光」です。お婆ちゃんと孫が旅する節々でいい人たちに出会う物語でした。「バビロンの陽光」では監督が明確に「社会が酷すぎるから良い人しか登場させなかったのだ」と語っていました。まったく同じ意図でアキ・カウリスマキは「ル・アーヴルの靴みがき」を作りましたね。
世の中が悪いとき、映画では極端に良い人を登場させることがあります。極端に良い人を映画で見ると、こみ上げるものがあったりするんですよ。
スタッフ・キャスト
監督・脚本パブロ・ソラルス
パブロ・ソラルスの長編映画は「家が帰ろう」が二作目だそうです。でもその前に脚本家、それ以外には舞台俳優だったり舞台演出などもしている人だそうで、脚本家寄りの監督というのが個人的に好みのツボであったかと妙に納得します。
公式サイトによると「家へ帰ろう」が作られた背景にはふたつの要素があったようです。
ひとつはパブロ・ソラリス監督の祖父です。祖父は戦争を逃れアルゼンチンに移住したポーランド人だそうで、監督が子供の頃「ポーランド」は悪い言葉だと思ったことがあるそうなんです。
一族の集まりの時に誰かが「ポーランド」と言った途端非常に緊迫した沈黙が流れ、それがとても怖かったことが記憶に深く刻み込まれています。ある時、私は父に「ポーランドとは何かを罵る汚い言葉なのか、どういう意味なのか」と尋ねましたが「それがおじいちゃんの家では禁じられている言葉だ」と言うだけでした。
もうひとつは、監督がカフェにいると隣席の話が耳に入ったという話です。
70代くらいの男が、90歳になる彼の老父が周りの反対を押し切ってハンガリーに向かったと話しているのを耳にしました。息子によれば、かなりの病身であるというその老人の目的は、ナチスから彼を自宅にかくまってくれたカトリック教徒の友達を見つけることでした。子供たちはもちろん反対しましたが、その思いとどまらせることをできなかったばかりか、誰かが付いて行くことも許さなかったのです。
「家へ帰ろう」公式 Director’s Note
祖父の件と、カフェで聞こえたお話をもとに「家へ帰ろう」が作られました。
監督はこのネタを映画にしようと思いましたが、それから10年間、何通りもプロットを書いてようやく撮影を開始できたそうです。単にいい話を映画にしたところで陳腐な感動話で終わってしまうだけですからね、脚本をどう練るかが重要だったんだと思います。
役者
主人公の頑固老人アブラハムを演じたミゲル・アンヘル・ソラは1971年ごろから舞台に立つようになったベテラン、一時期はスペインを活動の場にして現在はアルゼンチンに戻っているそうな。
この人の演技がすっげー良くて、やっぱりこれもマドリッドシークエンスで威力を発揮してます。特に娘と会うところとか表情の細やかな動きがたまりません。
宿屋の女将マリアをアンヘラ・モリーナが演じていまして、クラブでのシーン、かなりイカしてました。かっこいいです。この人。
マドリッドに住む娘クラウディア役はナタリア・ベルベケ。ここでお目にかかれるとは。そういえばナタリア・ベルベケはアルゼンチンの女優さんでしたね。
撮影
ファン・カルロス・ゴメスは「マルティナの住む街」「雑魚」「ゴースト・オブ・チャイルド」など個人的にどういうわけかお馴染みの撮影監督さんです。そりゃあこんだけ仕事してたら見る機会も多くて当然ですね->IMDb Juan Carlos Gómez
老人が故郷ポーランドを目指す旅の映画「家へ帰ろう」でした。プロットだけ追えばホロコーストと老人をテーマにした感動話のひとつにすぎませんが、マドリッド編に惚れたので極めて個人的な感想ですが頭一つ抜きん出た作品と、こう認識しました。