いろいろ映画を仕入れていて、ときどき行き当たりばったりで観たりします。「危険な遊び」が何の映画かも忘れていて新鮮な気持ちで見始めますね。
「オープニングがちょっと古い感じやな。古い映画かな」
「古いメジャー映画っぽいな」
「ホラーではなさそうやな」
この程度の認識です。
映画部屋のエアコンがまだ効いていなくて暑くてうだりながらだらだら見始めます。
「ちびっ子映画っぽいな」
冒頭のちびっ子を見て「危険な遊び」が何の映画か思い出します。
「おっ。これはイライジャ・ウッドが子役やってたやつや」
「ちびっ子イライジャが見たくて仕入れてたやつやな」
「スタンバイミーとかリトルランボーズみたいなやつか」
「今観てるから見てたらわかるわ」
珍しく無駄口を挟みながら冒頭を過ごしたのは暑さだけのせいでもなく、何となく演出がだるいからです。音楽流れっぱなしの辛気くさいシーン編集や、母親の入院シーンの「観念的雰囲気的重病人描写」に悪い意味で古さを感じていました。
この映画の見どころはイライジャ・ウッドのちびっ子です。大人になってもまったく顔が変わっていません。眉をひそめて目を見開く表情など、まるっきり今と同じです。同じ顔でちびっ子というのがとても良いです。
映画というのは嘘の出来事を綴るものですが、演じているのはリアル人間です。ある時間、彼らはフィルム内に固着され永遠の時間そこに存在し続けますね。感慨深いです。
もう一人少年が登場します。「ホームアローン」という大ヒット映画で人気沸騰したマコーレー・カルキンです。彼が大人になってからの出演作を私は知りませんので印象通り子供のままです。この彼が人気絶頂だったであろうこの時期に敢えてこの役をやったのはすごいですね。
「危険な遊び」の序盤はややだるい普通のドラマでして、母親を失ったちびっ子ライジャが叔父さん家にしばらく預けられることになり、叔父の子マコーレーのヘンリーと仲良くなります。
序盤はちびっ子ふたりの仲良し映画みたいになりまして、それなりに楽しく観ることができます。ちびっ子イライジャは優しい少年、マコーレーヘンリーは油断ならない悪ガキ系です。
そして中盤、どんどん面白いことになってきます。マコーレーのヘンリーったら、ただの悪ガキどころか、相当な悪人でサイコ系のヤバいやつ感が目立ってくるんですね。このあたりの展開は意外性もありドキドキしてちびっ子イライジャも可哀想で見応えあります。
そんなこんなで中盤以降は完全にサイコ野郎と賢く優しい少年のお話になってまいりまして、映画的には悪乗りしてきます。
映画の最後はせっかく積み上げてきた少年たちの物語を実につまらない終わらせ方にて収束します。つまり何をやらかしたのかというと、おっと、古い映画とは言えそういうことに言及するのは避けましょう。とてもつまらないラストであったとだけ申し上げておきます。「なーんだ、ただのそういう話で終わりかいな」ってなります。
悪い意味での古さを感じさせる「危険な遊び」ですが、古さに悪い意味はありません。同じ時期の映画、もっと古い映画にも素晴らしい作品が数多くあります。つまり古いから駄目なんていうのはありません。じゃあ何なんだと言うと、何なのでしょう。
良かったんだけど最後が投げやりでただのイイモノワルモノで済ませたみたいな、そういうのがちょっと私気に入らなかっただけだと思います。
ただ、子役二人は十分に見る価値あります。これは今だからこその価値でもあります。
さっきはじめて知りましたが、妹役のクイン・カルキンはマコーレーのほんとの妹だそうです。
監督はジョセフ・ルーベンという方で、誰だろうと思ったら「フォーガットン」の監督でした。あぁ、フォーガットンですか。そうですか(なぜか妙に納得)