カスパー・ハウザー
身元不明の孤児カスパー・ハウザーは19世紀ドイツの有名な謎のひとつです。地下牢に幽閉されて育ち言葉も話せず歩くことも出来ず人間の暮らしができない少年が森で見つかり、保護され再教育されていく中で高い知能を発揮していくという話で、伝承や噂の類ではなく実話です。
カスパー・ハウザーが何者なのか現在でも判っておらず、いろんな仮説や推理が知的好奇心をくすぐるため廃れることなく「19世紀ドイツ最大の謎」とかって語り継がれているようです。サイドメニューにウィキペディアのリンク貼って置いておきましたので興味ある方はご覧ください。
政治的な陰謀論や、挙げ句の果てにはオカルト的ムー的興味の対象とまでされるこの有名な出来事を、ヴェルナー・ヘルツォーク監督がどのように映画化したのか、そこんところが興味あるところでした。
ヘルツォークが描いたこと
「カスパー・ハウザーの謎」を観る前は、いったいこの事件の何をどのように描くのだろうと不思議に思っていました。今となっては散々研究され書籍化され娯楽作品化もすでにされている有名な実話ですから、普通に出来事を綴るだけでは「そんな話、知ってるよ」で済まされてしまいます。74年当時がどうだったか知りませんが、もし広く一般にこの謎事件を知らしめるだけのような作品なら、それをわざわざヘルツォークがやるだろうかと、そうじゃなければ何を描くのだろうと、疑問で、そして興味がわきます。
もちろんただ普通に出来事を綴るだけというような映画化ではありませんでした。いろいろ特徴があります。どんな特徴か。こんな特徴です。
学習、認識、人間
カスパー・ハウザーは最初は喋ることも歩くことも出来ません。野生児です。その彼が教育を受け知識を得ていきます。映画ではこのあたりを中心に描きます。陰謀論や謎解き方面は描きません。カスパー・ハウザー事件についての説明的ミステリー映画では全くありません。
無垢であった野生児が社会性と知性を手に入れた結果どうなったか。社会を教育することで社会の不条理さを知る絶望、人間であるための必須事項の非人間性、あるいは音楽に胸を打たれ、言葉を学ぶ力にも満ち、夢を認識するカスパー・ハウザーの成長と顛末を描きます。
良くも悪くもカスパー・ハウザーは文明社会を短期間に追体験することによって無垢であるが故に真理が社会と反することを学び、我々に見せつけます。
善き人
物語前半は言葉も知らず歩くこともできないカスパー・ハウザーを街が保護し面倒を見る話です。ここに登場する人たちが皆いい人で、このわけのわからない若者を救ってやろうとします。好奇心からのぞき見る人々であっても、そこに悪意を感じられず、とても暢気な街の牧歌的な話みたいに描かれますね。この前半がとてもいいんです。
特に食事の仕方や言葉を教える家族のシーンが素晴らしすぎて最高です。この家族には子供たちと赤ん坊もいて、特に男の子の話っぷりや座り方、細かい態度がこれまた面白いんです。あとそれと子猫の歌を教える女の子のシーンですね。かなり悶えます。「難しすぎるよ」とか。めちゃおもろいんです。ほんの一部ですがこれはちびっ子映画としても最高峰のひとつにカウントできます。
MovieBooでは近頃紫煙映画を探せなどという姉妹サイトを作りましたがちびっ子映画を探せもやりたいほどです。でもちびっ子映画を褒めまくっていたらヤバいやつと思われかねないので危険です。
風景描写
街や室内のシーンが多い「カスパー・ハウザーの謎」ですが、表現主義的風景描写も健在です。夢で見るコーカサスの風景、船遊び、霧の山を登る人々、田園を見下ろす丘、幻想的で感情が揺さぶられる風景描写に圧倒されます。目眩します。鼓動が高まりゴンと鳴ります。
フィルムの粒状感や暴れた露出、ソフトフォーカスに霧、かと思えば突如クリアな湖、ほんと凄いす。美しいだけでなく、それは心を表現します。あるいは夢です。この時期のヘルツォークが描く風景描写の力はトラウマになるレベルの攻撃力も秘めています。
ブルーノ・S
実際のカスパー・ハウザーは16歳の少年だったようですが、映画では青年です。ちょっとおとなです。そしてカスパー・ハウザーを演じたブルーノ・Sという、この人の凄さがまずあります。何とも独特で人智を越えた雰囲気に包まれた特殊な風貌のブルーノ・Sとは何者か。
ブルーノ・Sは幼少期に虐待を受け知的障害施設に収容され23年間をそこで過ごした人だそうです。なんとカスパー・ハウザーと被ります。さらに時代が時代故、ナチス統治下では医療実験をされてもいたそうですよ。退所後は絵と音楽を勉強し、路上ミュージシャンをしていたそうです。
映画の中でもブルーノ・Sのインプロヴィゼーションが音楽として使用されています。クレジットには載っていませんが演奏がブルーノ・Sであると、どこかに書いてありました。
「不適」者
話はそれますが、ナチスが知的障害、身体障害、精神障害を隔離、殺害する計画を行っていたことも知られています。
ナチスの月刊誌「Neues Volk」を宣伝するこのポスターの見出しには、 「遺伝性の疾患を持つこの患者は、その生涯にわたって国に6万ライヒスマルクの負担をかけることになる。 ドイツ市民よ、これは皆さんが払う金なのだ」と書かれています。
写真 | ホロコースト百科事典
弱者のために使われる税金を無駄と感じる人でなしの市民にこの言葉が大いに受けたのでしょうか。ナチスに学んでいるどこぞの天然全体主義国でも同じメンタリティに染まった人でなしの台頭が目に余っている状況です。
「カスパー・ハウザーの謎」では序盤、街の人たちが野生児を保護します。「危険な人間には見えない」と、彼らは言葉を教え世話を見ます。前半で描かれるこの弱者に対する社会の反応とその役割こそ慈愛に満ちた、あるいは社会性動物としての生存の基本を体現する人の真理として描かれますね。
中ほどに少し転機が訪れます。つまりカスパー・ハウザーの保護を市が行うのは財政的にどうか、という話が出てくるんですね。税金で保護せず、彼自身で稼いでもらうのがいいんではないかということで、見世物小屋でさらし者にされるシーンを挟み、これを境に映画は次の展開に向かいます。
象徴的なこのシーンを挟んで前半と後半を分けた脚本に某かの意図がないとは言わせません。
ダウマー教授
ダウマー教授に引き取られたカスパー・ハウザーは知識と知性を発揮させていきます。
育ての親ダウマー教授ってのがこれまたいいんです。教授を演じるのはワルター・ラーデンガストで、79年の「ノスフェラトゥ」ではヘルシング教授の役をやっていました。このおじいさんの今にも眠ってしまいそうなうつろな目と、そして優しい心遣いがたまらんです。
いろんな基礎的なものごとも教えます。観ていてこちらが教えてもらってるような気分にもなります。
ダウマー教授とカスパーとの会話の中で重要な言葉のやりとりもありました。ダウマー教授や観ているこちら側の一般的な常識をカスパーが拒否するシーンです。すなわち植物や果実や自然です。我々が「無条件に良いもの」と思いこんでいる良いものにすら疑問を投げかけます。その攻撃力は鋭いです。
鋭いばかりじゃなく笑えるシーンも随所にあります。深刻なだけの映画ではないんですね。教授がりんごを転がすところとか最高ですよ。
お手伝いさんもいまして、彼女もとてもいい感じです。カスパー・ハウザーがお手伝いさんに「女がいる意味って何?」と訊く一連の会話もまた鋭すぎてどぎまぎします。
映画の後半部分ではより露骨に社会批判へと向かいます。無垢なカスパー・ハウザーを人間存在の根源へ疑問を投げかける聖なる存在として位置づけますね。
同時に、カスパーは知識を得ることで絶望を知ります。夢と現実を区別できるようになったことで失われた世界を痛感します。疎外感も持ちます。彼は社会不適合者として世界に違和感を感じる世間に5%いる駄目人間を体現します。ここらで5%の仲間ならカスパーに感情移入しすぎて大変なことになってきます。
その他の面白キャラ
ひとつ忘れてはならない面白キャラはあの英国への道筋を付けようとしている変なおじさんです。この変なおじさん、ほっそり痩せてぴちぴちの服着て脳天が禿げているオカマおじさんでして、強烈キャラにぶっ飛びます。なんかゼルダの伝説の登場人物みたいですよ。たいへんいいです。
原題
「カスパー・ハウザーの謎」の原題は「Jeder für sich und Gott gegen alle」で、英語だと「Each for himself and God against all」ということで「すべて自身と神のために」というタイトルでした。
映画の中でも宗教家が出てきますね。知識を得ている最中のカスパーに「信仰は何ものにも優先される」と言って混乱させます。
詰まっている
「カスパー・ハウザーの謎」は多くのものが詰まっています。いいシーン面白シーンすごい風景たまらない会話、表層としての詰まり具合もそうだし、登場人物たちのたまらない個性郡、言葉に潜む根源的な問題の提起、心象表現としての映像から何から何まで、ちょっといろいろ詰まりすぎて大変なことになっています。
これを観るべき映画のひとつとして挙げることに何の抵抗もありません。
結論として、リマスターありがとうございます。
ヴェルナー・ヘルツォーク監督1974年の「カスパー・ハウザーの謎」が2016年年末にリマスター再発売ということで綺麗な画面になったこの映画を堪能。
19世紀ドイツ、長年幽閉されていた身元不明の少年が保護されるという有名な事件を元にしています。カスパー・ハウザーは実際には少年ですが映画では青年です。
この映画の中にも素敵な喫煙シーンがありました。
謎の青年を窓辺から眺める夫婦のシーンです。夫婦が窓から顔を出して謎の青年を眺めています。夫は大きなパイプをぷかー、ぷかーとふかしています。
このシーンとてもいいですよ。窓辺に肘をついてるんですが、痛くないようにクッションを当てているという芸の細かさ。
興味本位で窓から見ているのですが、さほど強い興味もなくぼんやり眺めている風で、暢気な雰囲気です。
青年が保護されることになる街の人はみんないい人たちで、何だかんだと彼の心配をしたり世話を焼きますね。弱い個体をみんなして守るのは人間の生存意義に直結する社会性動物の特性ですね。
映画の内容や感想についてはまたあちらで書きますが、窓辺のパイプシーンが素敵だった「カスパー・ハウザーの謎」は思っていたよりうんと良い素晴らしい映画でした。リマスター万歳。
画像は カスパー・ハウザー | wikipedia から肖像画。
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