「スリーピング・ボイス」は歴史的な国家の悪事と女性の悲劇を描いた映画でした。普通にこの手の社会派告発系映画が陥りがちな大仰さや登場人物の類型化に陥ることなく、人間味あふれる人たちが細やかに描かれた点がとても良くて、監督のことが気になってたんですね。
日本では「ローサのぬくもり」と「スリーピング・ボイス」しか紹介されていません。でも本国でもこれ以外には「ハバナ・ブルース」しか長編映画がないのですね。もっぱらテレビ映画を作っていました。
全然知らなかったんですが長編映画デビュー作「ローサのぬくもり」が高く評価され世界で売れまくり映画際で引っ張りだこゴヤ賞ではなんとアルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」と競ったということで、当時はものすごい新人監督現る!って大騒ぎだったようです。
そんな騒ぎを起こした才能ある監督ですがその後長編映画がほとんどないという、これはどういうことでしょう。テレビの仕事をたくさんしているし「スリーピング・ボイス」にも抜擢されてるから重鎮には違いないでしょうが、不思議ですね。商業映画で頑張るぞっていうタイプの人ではなかったんでしょうね。スペインでは同じくらい全然映画を撮らない巨匠ビクトル・エリセという人もいますしね。珍しいことではないのかもしれません。
となるとその「ローサのぬくもり」を知らぬ存ぜぬでは済まされません。いや済まされますが私は興味ありありです。そして「ローサのぬくもり」を手に入れてみます。なーに。17年くらい遅く見たところで30年に比べたら半分に過ぎません。
前置き長すぎてすいません。「ローサのぬくもり」はどんな映画でしょう。こんな映画です。
一人暮らしの女性が主人公です。映画の終わりの方で35歳と自分で言いますから35歳です。都会の下町にあるアパートに住んでいるみたいで、冒頭「引っ越してきたばかり」と言っています。この娘のアパートに、父親入院の付き添いで母親がやってきて数日間一緒に暮らすことになります。そういう映画です。
娘35歳はちょっと荒んでいて、短気で怒りっぽく母親にも全然優しくありません。酒飲みで酔っ払ったらさらにタチが悪くなったりします。母親は温厚で優しそうな人ですね。おい娘、ちょっと母ちゃんに冷たすぎるやおまへんかと前半ヤキモキします。
フランコ政権時代を体現する父親と娘の彼氏、温厚で良い人を体現する担当医と隣人のおじいちゃん、そんな登場人物の中で荒んだ娘と温厚な母親がいます。この母娘に、アパートのお隣さんが絡んできます。そういう構造になってますね。
フランコの独裁政権を引きずる男二人です。こいつらはわりとろくでなしで、特に入院している父親は独裁野郎の特徴をすべて備えています。
まず家長制度絶対主義者で自分が家族の中で独裁者と考えてますね。当然暴力亭主で妻や家族を殴る男です。それだけじゃありません。異常な嫉妬心のかたまりです。嫉妬心が強いとはどういうことでしょう。それは自信のなさの表れでもあります。なんとまあ小さい男だろうと。これが家長制度大好き独裁親父の特徴です。
翻って優しい人はどうでしょう。隣人のおじいちゃんですね。この人は暴力を振るうような人ではなく、女性に敬意を持って接しますし物腰も丁寧。それだけじゃなく心がよく動くタイプでつまり多分惚れっぽい人でもあります。こういう輩が若い頃どうだったか、手に取るように想像できますが、モテモテの浮気男に違いありませんね。断言してええのかな。
そんなこんなで、チョイ役である娘の彼氏は父親タイプ、お医者やめちゃいいやつのバーのマスターは隣人タイプと見て取れます。母親は諦めも入っていて悲哀を含む温厚なタイプです。悲哀と温厚のお母ちゃん、日本の人もこんなお母ちゃん像が大好きなはずです。主人公の娘はどうでしょう。結構きつい女だし、でも辛いこともあるし、根はいい子なんだよと母親もいいます。そうですね、この主人公は映画的につまり。
皆まで言うまい。そんな感じでですね、少ない登場人物たちのやりとりを丁寧に描いた映画です。クライマックス的なシーンがあって、よいセリフまわしと力の入った演技に思わず涙腺大決壊、ありゃーやられたーっとこうなります。
ドラマ外で注目したことはロケーションです。バス停付近の公衆電話とか、バーの様子とか、なんかすっごく古い場所みたいに見えます。そしてノスタルジーを刺激される街の景色ですね。単なる都会の孤独というには時代を引きずり過ぎていて、映画全体に複雑な感情を掻き立てられます。
この映画に社会派の部分はほとんどありません。でも注意深く見るとそれはあります。独裁政治が終わった後まだ落ち着きどころを模索している続きの時代、田舎で古い習慣に縛られている年寄り、都会で新しい価値観に居場所を見出す人、そして世の中を覆い尽くす貧困の問題です。
都会で女性が一人暮らしするということ自体に含まれるキツさもあります。そういうバックボーン抜きにこのドラマは見れませんね。そんなドラマの最後で見せる主人公と隣人の夜を徹する本気の会話、そして話のオチです。この映画には奇跡すら感じます。
とは言いながら映画的にはすごくシンプル。1999年の映画ですが、知らなかったらもっと古い映画だと思うはずです。泣きのクライマックスからエンディングに入り、スペイン名物スパニッシュ演歌みたいな曲も流れまして、こういうの大好き。
さらにダメ押し、主人公女性が煙草吸いまくりでとても好感度上がります。という話を。
病院で吸おうとして医者が「ここ禁煙ですよ」と言いながら自分も煙草をごそごそ出してきたりします。ここいいシーンですね。禁煙と言っても別に煙草吸ってもいいわけですよ。どうでもいいんですよ。いいですね。お医者いい人ですね。
酒と煙草に溺れる主人公女性の自堕落な表現でもありますが、そんな単純な描き方でもなく、やっぱり酒と煙草が人間関係を円滑にします。辛くてきつい時の安定剤にもなります。腹を割った話に必須のアイテムでもあります。
どこか別の世界の映画感想ブログでは煙草が出てくるだけで貶すというスタンスで人気を博しているのがあるそうです。それに対抗してこちらでは煙草が上手に出てくるだけで褒めちぎるということを心がけていますが、よく考えたら心がけなくてももうとっくそうでした \(^o^)/