アッバス・キアロスタミ特集
アッバス・キアロスタミの訃報は大ショックでした。残念すぎます。あまりにも大きい人類文化にとっての喪失。日本でのヒットもあったのに旧作品の再発もされず観る機会も奪われ、なんとかしてくれと泣いていると、大都市東京ユーロ・スペースでは追悼の作品群上映会が執り行われたという。羨んでいるうちに10月も終わり、上映会も終わった模様です。謹んでご冥福を祈りながら、上映会の地方巡業ないのかと願い祈るしかありません。どうかお願いします。どうかお願いします。
オマールの壁
「パラダイス・ナウ」がすごく良かったハニ・アブ・アサド監督の2013年「オマールの壁」を2016年春に上映していて、地方巡業を待っていましたが地元に来なかった(か来たけど気づかなかった)ようで、なんせ時すでに遅しでした。残念無念。DVDとか発売待ちますね。春の映画だからここでタイトル出すのも変ですが、こういう待ちが入って待ってるうちに無下にされ忘れられたタイトルってのは実に多いのです。だから代表として例に挙げておきました。
ソング・オブ・ラホール
最初にこの映画を知ったとき「必ず観ます」と人前で誓ったのに、これも地元に来なかったようで、あれ?来てましたか?来てましたね。神戸と大阪でつい最近やってたらしいです。あらら知らなんだ。で、この、夏に来日公演とかで盛り上がってましたが盛り上がりもすでに終わり、終わったねーっていう祭りの後のタイミングで知らぬ間にやっていて、今の今まで「結局地元に来なかった」と思い込んでしまっていた「ソング・オブ・ラホール」でした。
PK
「三馬鹿」こと「きっと、うまくいく」で個性的な役をやっていたアーミル・カーンを主演に同じくラージクマール・ヒラニー監督がお届けする神を探す男の映画「PK」は多分面白いですね。
アスファルト
「フランスの団地映画おもろいよ」とどこからともなく聞こえてきて、なんだろうと持ったら筆者にとっての女神で菩薩テデスキさんと大女優にして怪女優イザベル・ユペールさん共演のちょっとおもしろそうなネタを盛り込んだ若々しい映画(に見える)「アスファルト」は夏に公開していた映画ですが地元では今まさに公開中。菩薩テデスキさんを拝むためにもぜひ観ておきたい一品。
アスファルト 公式
で、観ましたけどこれもう最高でした。好みのツボにヒットしまくり。良すぎて悶えます。
ギフト
「アクティビティ」で色物的に登場したジェイソン・ブラムとオーレン・ペリのコンビはみるみる才能を開花させ商魂商才を見せつけおもしろ映画を量産し今やアメリカを代表するヒットメーカーでアメドリの体現者。実を言うとこのコンビや「ソウ」の関係者たち、めちゃお気に入りでどれもこれも作品大好きなんですよ。だからブラムハウス作品というだけでとりあえず信頼します。「ギフト」もどんなのか知りませんがとりあえず信頼しています。
人間の値打ち
女神テデスキさんのもう一本、「人間の値打ち」っていう妙なタイトルの映画がありますね。これも気になってます。テデスキさんと筆者とは同い年です。それがどうしたと。
なぬ。今やってんのか。観るの多すぎて観きれないぞ。困った。
母の残像
ラース・フォン・トリアーの甥っ子という方が監督です。名女優怪女優大物女優イザベル・ユペール大先生、ほんのりユダヤ顔のアメリカ映画俳優の中でもっとも面白く才能ある俳優のひとりジェシー・アイゼンバーグ、この組み合わせも魅力ですね「母の残像」どんなんでしょう。
虹泥棒
ホドロフスキーの日本未公開映画「虹泥棒」ですって。イギリス資本のメジャータイトルです。カルトとかなんとか言われているホドロフスキーですが、べつに好き好んでカルトなわけじゃなく、デューンで悔しかったりもしてるし、ほんとは大ヒット作の一つやふたつ、作りたかったはずだと思います。「虹泥棒」は有名俳優を起用してセットもゴージャスなメジャータイトルで大ヒット間違いなし!とみんな思ったでしょうね。でもそうはならなかったようです。でもそういうの目指したかもしれない気合の一本。これ観たいです。クリストファー・リーの元気だった頃も拝めます。
ティエリー・トグルドーの憂鬱
必見ぽい「ティエリー・トグルドーの憂鬱」も夏の映画ですが地元ではこれから。他でもこれからって地域があると思います。これはちょっと外せない一本。社会経済底辺貧困求職職業密告人間。ぽい映画。ぽい。
灼熱
クロアチア紛争をベースに紛争前、紛争後、現代を描く映画のようです。バルカン半島を舞台にした民族紛争に関わる興味深い作品、ある視点審査員賞。
ジュリエッタ
ペドロ・アルモドバル監督「ジュリエッタ」です。都会では11月5日から公開。なんと、ミシェル・ジェネールとインマ・クエスタが出演しておりますよ。最強女優二人がアルモドバル作品で共演。泣けてきます。もうね、何であれ問答無用ですね。問答無用です。
遅い上映について
さて。フィルム時代はというと、フィルムのハードコピーが必要であるとか、物理的に運ばねばならないとか、フィルムにまつわる制限で同時に各所で公開なんてのは難しいことだったと想像できます。
だから複製の複製とか、散々上映したあとのちょっと傷んできたフィルムというのがあって、それで名画座や二番館三番館で掛かる頃には金額も下がりました。フィルムの物理的な制約は、本来「早期上映」という付加価値とセットとなって「誰より早く、綺麗なフィルムで観る」ことの価値がロードショー価格になっていたわけです。
今の時代、フィルム上映はなくなりデジタルでの上映になりました。場所借りてテレビ観るみたいなもんです。配信かブルレイみたいなディスクか知りませんが、どちらにせよフィルムの劣化や同時に多数のコピーが存在する物理的な難しさはありません。
にも関わらず都会が早く田舎が遅い哀しい格差はフィルム時代の名残のまま維持されています。舐めとんのかぼけといつも文句行ってますが、例えばライセンス料的に、早期から日が立つとだんだん値が下がるということがあるのかないのか、ないならわざわざ遅くする意味が不明だし、あるのなら遅い分名画座扱いにして値を下げてほしいもんだと思います。
散々遅れて旬がとっくに過ぎてDVD発売時期に定価でロードショーする田舎の映画館というのは、懐事情は苦しかろうと察しますがあまりに図太いやり口だと思ってしまいます。いえ、事情も何も知らないから想像で言ってますが。
恐ろしい事実を発見したんですが、今年2016年も11月に入りましたが、私、今年は2016年製の映画をほとんど観ていません。唯一「シン・ゴジラ」だけ2016年の映画でした。もちろん、普段ちょっと遅く製品化されてから観たりすることが多いせいもありますがそれだけでもありません。
今や日本の壊滅的不況は「新しい映画が入ってこない」循環時代に入りました。多分新しい映画は高くて買えないのです。1年たち2年たち3年たち、名画座的に値崩れしてやっと初めて日本で配給され上映されます。
国内の話として遅い上映の地域格差に文句言ってる場合ではなくて、日本そのものが遅い格差、下手すりゃ遅いどころかぜんぜん入ってこない格差に陥りつつあります。世界中の映画を優れた字幕で観ることができた栄光の時代が遠のきつつあります。哀しいですね。でも現実を受け入れるしかないので、あるうちにせいぜい観るのです。