カルロス・ベルムト監督が日本のオタク文化の傾倒者であることばかりがことさら強調されて予告編が解禁されるやいなや日本で大注目、ヒットしているご様子です。私も予告編を見てしまいビックリ仰天してわくわくして挑みました。そんでもって、期待を裏切らない素晴らしい出来映えの映画で、いやー。おもしろかったー。これは相当いいです。
予告編で大注目されました
私も皆さんと同じように、不健康そうな少女がアニメのコスプレしているあのシーンで「何じゃこりゃ。観なければ」となったわけですので、予告編の編集がとても優れているということがわかります。だらだらと説明したりしないし、いい編集なんです。なんですが、それはそうなんですが、あのコスプレシーンですよ。あのシーン、あれを予告編で出してほしくなかった。と、見終わってしばらくしてから強く感じます。あのシーンの強烈さを見た後「このシーンを事前に知らずに映画を観ていたら、椅子からずり落ちて感嘆詞付きで大絶賛しながら嗚咽にむせんだことだろう」と思ってですね、そこだけがとても残念でした。
とはいえ、多くの人が、あのシーンが予告編に入っていたからこそ興味を持って観に行ったと思うんで、それは間違いないと思いますんでね、だから編集が間違っていたとはまったく思いません。予告編を見てしまった自分を呪ったに過ぎません。
まあ、でもね、チラシやポスターを観て分かるとおり、やっぱりこのシーンを前面に出しているのですから、これを見ずに映画を純粋に堪能することはまず不可能ですよね。
というほどにこのコスプレシーンは実はとても大事なシーンでありまして、私は少女のコスプレ姿と強い目を思い出すだけでも泣けてきます。哀しい話にはあまり泣けませんが不憫なのにめっぽう弱いんです。
ニュータイプ
「マジカル・ガール」ですが、一見サブカル臭いオシャレ映画に見えなくもなさそうですが実態はまったく違って、やや古風な感じさえ受けるオーソドックスなノワール映画の形相を帯びています。日本のアニメだけでなく江戸川乱歩的な世界感も含ませていますし、愛の映画でありますし、ハードボイルドでもあります。古風なネタを新しい撮り方で見せている系ですね。
最近の新しい映画にはある種の作風の共通点みたいのがあります。漠然としすぎていますが、何となく感じていて頭の中では「ニュータイプ」というジャンルとして認識してるんです。50年代生まれの監督たちがまずそれの先陣を切っていて、一部には「オフビート系」だのと言われていたようですが、そういう映画がまずあって、さらにその次の若い世代がもっと尖った形で昇華させたような、そんなイメージですが、体系立てて考えてるわけでもないしはっきりと示すことはできませんが、例えばでいうと「フレンチアルプスで起きたこと」や「籠の中の乙女」や「ル・コルビュジエの家」などかが当てはまっていたりします。「マジカル・ガール」もそうです。まったくの個人的な印象で戯言ですのでまともに相手しなくていいですからね。
戯言はいいとして、ストーリーです。
映画の冒頭は学校の先生と女生徒から。先生を翻弄する女生徒との短いシークエンスが何なのか特に説明せずにこのあと本編が始まります。
本編が始まると父と娘のお話が始まります。娘アリシアは「魔法少女ユキコ」というアニメに夢中な少女で、お友達のあいだでは「マコト」「ユキコ」などと日本名で呼び合っているほどのめり込んでます。そして重病を患っています。父親は失業中のご様子。こっそり娘の「願い事日記」を盗み見て、彼女がほしがっている魔法少女のコスプレ衣装を買ってあげたいと強く思います。
この親子の話があって、しばらく後にまったく別の女性のお話が出てきます。冒頭の女生徒と同じ名前の女性バルバラの物語です。冒頭の女生徒が大人になったようですね。このバルバラこそが本編の中心人物。彼女を巡るお話と事件が登場人物たちを結びつきてゆきます。
物語がもっと進むと、冒頭の教師ダミアンが再登場してきましてですね、物語のウネリが一点に向かって収束していきます。物語という名の波動が蠢いて絡み合って、登場人物たちを翻弄します。
といったそういうお話です。物語が絡み合いうねり合うストーリーテリングの妙技がたっぷり堪能できます。物語の節々には、あえて描かない事柄が充満していて、それがこの映画の特徴のひとつだったりします。つまり、物語がウネリ絡み合うストーリーですが、説明的なシーンやエピソードをごっそり省略してこれを描きません。何もかもを徹底的に描写して観客を誘い、観る人全員にわかりやすいストーリーを提示するような作風とは少し異なっていて、想像で補う部分を多く用意しています。こうした技法は特に新しい技法ではありませんが、多用しているところが面白いんです。それにね、お得なんです。
お得とは。
映画の尺があって、2時間なら2時間ですが、この時間内にすべての説明描写を納めようと思ったら大変です。複雑に絡み合うストーリーを漏らさず描写してしまうと人物の掘り下げや他の部分がおろそかになってしまうし、カタログ的羅列のような仕上がりになってしまうかもしれません。
でもごっそり省略してストーリーの部品を観客に想像させるように仕向けると、説明描写の必要がなくなり、他の描写に力を入れることができます。
同じ2時間でも、省略しながら全体の話を紡ぐと実質0円いや違った実質何時間分もの内容を詰め込むことが可能です。しかも観客の想像力は無限ですから実際に描写するよりもっと凄いシーンを勝手に想像してくれるし、その分映画に好印象も残ります。
ですので「マジカル・ガール」みたいにストーリーの部品を省略しまくった技法は、観ているこっちにとって実際の映画時間より遙かに多くの時間を感じさせてくれて、だからお得なんですね。
ただし危険性もあって、それは観客が想像してくれない場合です。想像できない観客の場合はこの効果はあまり発揮されなくて、特にお得とも何とも思わないばかりか「おいおい、トカゲの部屋って何なんだよ。わかんねえよ」などと言われてしまうかもしれません。そう言わせないためにはやっぱり技術が必要でして、上手に誘導しないといけません。伏線も、ちゃんと気づくようにぴりっとわかりやすく配置して、映画を見終えてから「そういえば、、、!」とさらに想像を膨らませるように仕向けなければなりません。で、この映画はそれらがきっちり出来ています。
カルロス・ベルムト監督は「マジカルガール」が初長編映画だそうですが、そういう技術的なところをびしっと持っていてただの一発屋ではないと確信できるんですよね。斬新さの中に、ベースとなる技術の裏付けがちゃんとあります。その中には古風な技術やオーソドックスな技術も含まれます。
面白い。怖い。スリリング。不可逆。
スペイン映画名物スリコンなどと時々ふざけて言いますが、とにかく一本調子じゃなくいろんな要素を詰め込んだコンプレックスな作風がスペイン映画によく見られます。本作もいろんな要素が詰まっていてコンプレックスですがスリラーと言うよりノワールが近いのでノワコンであります。またつまらないことを。
見終わってぐったりしながら思いをはせますと、最初のほうで近所のバーのママと会話するところありますね。あのママの言葉、あれに尽きましたね。あのときママの言葉に従っていさえすれば、この映画の辛い話は存在さえしなかったことでしょう。という不可逆に関する感想をちょっと挟んで次は面白いシーンについて。
面白いシーンが随所にあって、ギャグセンスの若さも感じられてとてもいいです。少女がお友達の家に遊びに行きたいと父親に話すシーンありますね。「みんな行くし」「みんなって誰だい」「マコトとあたしとサクラ」「マコトの家に行くんだよね」みたいな感じのこのシーンの親子の会話がとても面白くて。
バルバラが訪ねる女ボスみたいな人との会話も妙に面白い部分があります。大事なシークエンスはごっそり省略しつつ、買ってきたお菓子のシーンはしつこく撮るという、こういうメリハリ大好き。
怖さを感じるシーンではラスト近くのスリリングな男ふたりの会話など強烈です。バルバラが赤ん坊を抱くシーンも相当に怖いですね。バルバラはとても複雑なキャラクター設定で、登場まもなくは不信感にも満ちていますから大変です。
バルバラ・レニー
ということで、主人公の謎女性バルバラを演じたのはバルバラ・レニーです。「フリア よみがえり少女」でとっても好印象を残した女優さんです。「私が、生きる肌」にも出ていました。「マジカル・ガール」ではゴヤ賞主演女優賞を受賞しました。この方が出演してるっていうのでまず「マジカル・ガール」に興味を持ったんですよ。
本作ではものすごく怪しく危うい役柄です。もう怖いほどですね。バルバラ、あなたはいったい、どういう人ですか。過去何がありましたか。過去はまったく描きませんが想像がぐるぐる回りますね。ただ危ういだけでなく、やっぱり不憫系でもあります。つまり、愛について不憫なんです。どこかピュアで、無邪気なところも持っているという複雑な役でした。精神にやや病を抱えたピュアで無邪気で危険なバルバラをただ男を翻弄するだけのノワール的な目線のみで見ることは私が許しません。
ホセ・サクリスタン
教師ダミアンを演じたおじさんです。ただのおじさんじゃありません。ただの教師でもありません。このダミアンという役柄、これ「マジカル・ガール」の中でちょっと特別で、この映画を妙なものに昇華させた原因のひとつでもあります。つまりこのダミアンという役の男、この男が映画中ひとりで任侠ハードボイルドをやっています。最初は元教師ですから知性的な人物を想像しますね。でも全然違います。このおっさん、任侠でした。それが面白くて。それが怖くて。
演じたホセ・サクリスタンは、googleにアダルト認定されているMovieBooで最近最も読まれている「バスルーム 裸の二日間」で体を張ったあの人ですよ。この方の風貌も独特で、今回の役とのギャップもあっていい感じです。最近では「Vulcania」というのにも出演(「Vulcania」の予告編をどこかに貼ったな・・・。ここロスト・ボディでした)
この方が出演してるのを知って「わおっ。何があっても観なければ」ってなりました。
それで、ダミアンとバルバラの過去にはいったい何があったんでしょうかね。それにね、出所してからも彼女のところに出向いてますからね、会ってたんでしょうか、どうなんでしょうか、任侠世界がいろいろ想像出来ます。
ルシア・ポリャン
白血病の娘で魔法少女ユキコが大好きなアリシアを演じたのはルシア・ポリャンというこの子です。この子の目の力、これは凄いです。ようやった。ほんとようやった。
役柄的にはオーソドックスな病を患う女の子、アニメが好きで、パパのことも大好きです。願い事ノートなんてのに欲しいものを描いたりしています。最初のページは「何にでも変身できますように」次のページには魔法少女のコスプレ。次のページには。あ、あかん。思い出すだけで泣けてくる。
アリシアの泣かせ設定は、言ってみればベタ設定です。こんなのにやられてしまうとは、と思いつつ、やはりルシア・ポリャンの目の力や演技が良かったんでしょう。
決して事前に見せて欲しくなかったけど映画的に最大の売りになったコスプレして立っているあの姿、この姿のシーンなんかはですね。ピンポーンって鳴っても出なくて、電気消してて、それでパパが帰ってきたら。あ、あかん、思い出すだけで胸が締め付けられるーっ。
エンドクレジットには美輪明宏の「黒蜥蜴の唄」が流れるんですが、ジャズピアノと合成された複雑なカバー曲として流れます。このエンディング曲、これいいですね。チラシにはピンク・マルティーニによるカバーと書いてありました。
そんなわけで私は個人的には「予告編など見なければよかった!」と悔しがったんですが、でも予告編がすんごいからこそみんながこの映画を観たくなりそして観るわけです。ですので、予告編を避けているような意志の強い人を除いて、これはやっぱり予告編を見てですね、興味を持って観に行くのがいいと思うんです。
映画の中に「炎の少女」というスペイン歌謡が何度も流れます。これは誰の何という曲なのでしょう。当てずっぽうの「Chica de la llama」なども含め、ちょっと探してみたんですがわかりませんでした。みんな当たり前のように「スペイン歌謡、炎の少女に乗って」なんて書いていますが曲そのものについて言及しているものはありませんね(追記、見つけました。後述)
「気狂いピエロの決闘」の「Balada de la trompeta」みたいなわけにはいきませんね(これは映画そのものが「トランペットのバラード」に捧げているので話は全然違うんですが)
いずれもう一度観るときにはエンドクレジットをしっかり見て「炎の少女」が何なのか確認したいところです。知ってる人おられたら教えてください。
てなことで、スペイン映画の新たな才能、カルロス・ベルムト監督の「マジカル・ガール」でした。これは絶品です。これはすんごいです。
[追記] 炎の少女
劇中の「炎の少女」は Manolo Caracol の「La niña de fuego」という曲でした。
Great Interpreters of Flamenco – Manolo Caracol [1930 – 1954] Volume 1 に収録されており配信で手に入ります(盤はなさそうですかね)
これは古い演奏のアルバムで、これが速攻気に入ってアルバム買いました。
サイドメニューやこの下に広告で失礼します。
有名な曲だけあってバージョンもいろいろありますね。リマスターもあります。映画で使われたのはどっちだったでしょう。記憶も曖昧。
Manolo Caracol – La Nina De Fuego で各種探してみてくださいな。
以下、曲のiTunesリンク(広告)
La Niña de Fuego, La Salvaora y 18 Éxitos Mas – マノロ・.カラコール(remaster)
La Niña De Fuego (Zambra) – マノロ・.カラコール & Orquesta Miguel Angel Sarralde