監督のマルジャン・サトラピは「ペルセポリス」「チキンとプラム」で映画部でも揺るぎない評価を得ている注目監督です。「ハッピー・ボイス・キラー」はマルジャンの脚本ではなくマイケル・R・ベリーという人による脚本で、アメリカ製作による映画です。最初は「おっ。マルジャン監督作品か、知らなかった何これ観よ観よ」となりましたが脚本書いてないとかアメリカ映画ってことで少々不信感もありました。
しかしそんなのは杞憂でした。「ハッピー・ボイス・キラー」はとてつもなく面白い好物映画でやったーやったーの絶賛です。どんな映画でしょう。こんな映画です。
ストーリー
主人公ジェリー(ライアン・レイノルズ)は水回り設備の工場で働いています。彼は犬と猫を飼っていて、その二匹と会話できますね。ときどきお医者のところにも出向きます。
会社のパーティの準備も頼まれればやります。そのパーティで出会った経理課のフィオナ(ジェマ・アータートン)に惚れます。パーティではみんなでコンガ、楽しかったー。
フィオナを食事に誘いわくわくするジェリーですが、フィオナは経理課の他の同僚とカラオケへ。ふられたジェリーは大きく落ち込みますが同じ夜フィオナと再び出会ってドライブでまたわくわくします。でも田舎道で突然鹿が飛び出してきて衝突してしまい、それからひとつ事件が起きてしまいます。
てな調子でお話が進むそういう映画です。
特徴
特徴はまずひとつ映像がとてもポップで、これはマルジャン監督やマルジャンのスタッフたちの手による効果ですね。工場の様子もとてもいい感じです。
それから、動物が喋る映画ですから、そういう系の面白さも抜群にあります。映画は動物と子供がいればだいたいおもしろくなります。
それから、町が寂れています。これ、これこそ現代アメリカを代表する終わった町ですね。資本主義の終焉を象徴する終わった田舎町です。この田舎町の田舎感も大事です。カラオケ屋は変ですし、何と言っても中華料理屋の面白さが抜群ですね。
マルジャン・サトラピは幼少の頃ブルース・リーにあこがれてアチョーってやってたそうですが、そういう逸話も思い出します。「すんごく面白いショーをやる中華料理屋があるんだ!」っていう、この中華料理店のシーンはとてもいいです。
それから、精神科医が出てきますね。ポップでファンタジックな映画ですけど、精神科医は意味深なことも言ったりします。
それから、ホラー映画でもあります。なんですと。そうなんです。ホラー映画でもあるんです。スリラー系のホラーです。この要素がたいへん良くて。中途半端じゃないんですよ。ここ凄く大事なところです。ファンタジックさもポップさも恐怖も、どれもあります。そのどれもがきっちりやりとげられていて、いい加減さが微塵もありません。
それから、出演者たちの味わいも格別です。いいですよ。ライアン・レイノルズもとてもいい味出してます。ジェマ・アータートンもすごいです。アナ・ケンドリックもキュートです。誰かに似ていますねえ。つまり、ファンタジックさやポップさやおふざけやホラーやスリラーの中で、出演者たちがちゃんと魅力的に演じていてここもきっちりやり遂げてるんですね。
映画はみんなで作るもの
マルジャン・サトラピが監督を引き受けたのは脚本が面白かったそうですがそりゃあインタビューではそう言いますわな、まあでも結果的に「ハッピー・ボイス・キラー」はとても面白く仕上がったのでお客としては引き受けてくださってありがとうございましたて感じです。多分、マルジャン監督でなかったらここまで面白くならなかったろうと確信しています
まずこの映画を魅力的にしたのはマルジャン・サトラピの力が相当大きいという話で、で、次に来るのが撮影監督です。
撮影監督が誰なのか、聞いてびっくり知ってガッテン、アレクサンドル・アジャ作品でコンビのマキシム・アレクサンドルという人です。
「ハイテンション」以来、多くのアジャ作品で撮影監督していますよ。この人の実力は折り紙付き、アジャ作品に深みと恐怖をもたらしました。
「ハッピー・ボイス・キラー」でもホラー部分の完成度の高さでそれがわかります。最初の事件の森のシーンどうですか。あそこで一瞬にして本格的なホラー映画になります。
マルジャン・サトラピの演出にマキシム・アレクサンドルの撮影を組み合わそうなどといったい誰が思いついたんでしょう。プロデューサーの中のだれかですか、キャスティングディレクターの仕業ですか。いずれにしても驚きの組み合わせで、まるで手術台の上でミシンとコウモリ傘が恋をしたかのような効果を発揮しました。
出演者もみんないいんですがジェマ・アータートンやりますね。このジェマ・アータートンという女優、この人「アリス・クリードの失踪」のアリス・クリードをやったり「ビザンチウム」の吸血鬼クララをやったり、映画によってほんと化けますし、なんでも完璧にこなします。つい最近は「ボヴァリー夫人とパン屋」でまたもやいい味出してました。「英国人女性」と強調された役どころも少々似通っていましたね。「ハッピー・ボイス・キラー」でも自分の役割を完璧にこなしました。完璧すぎて最初ちょっと誰かわからなかったぐらいです。映画部内で最近もっとも尊敬してる女優の一人です。
ライアン・レイノルズの、こういっては失礼なんですが統合失調症っぽい顔つきとかもぴったりフィットのはまり役。
美術というか、最近はプロダクションデザインとか言いますが、これを担当したウド・クラマーという人は「チキンとプラム」もやっていました。
「ハッピー・ボイス・キラー」の工場内のデザインも優れてましたね、ちょっと嘘くさくて小綺麗な、まるで頭の中にだけ存在する夢空間のような、そんな室内デザインもとてもよいです。つぶれたボーリング場もいい感じでした。
というようなですね、いろんな才能を寄せ集めて作られた本作、奇跡のように紡がれて誰のものと単純に言えない良さに満ちました。当たり前ですが映画はみんなで作るもの、プロデューサーやキャスティング、美術や撮影、音楽や編集、どれも大事、どれも見事、異質な組み合わせが功を奏した良い例の代表のような、そんな映画だと思いました。
終わった町、終わった精神、病理
コミカルなだけでなく怖いだけでなく、深刻な映画でもあります。終わった田舎町の閉塞感は随所に出てきますし、肝心の精神病についても軽いタッチの中に正確さがしっかりあります。こういう部分でちゃんとしているものだから、おちゃらけシーンを含めていても説得力があります。
精神分裂病という言葉が消えて随分経ちましたが、言葉を換えてもこうして相変わらず病気の物語が作られます。まじめなのもあればホラーみたいな扱いもあります。ふざけた話もありますし「ハッピー・ボイス・キラー」みたいに複合的なのもあります。病気をネタにしたこのような物語は酷い話ですか。差別的で誰かを傷つけますか。そうかもしれません。しかしなくなっては困ります。貧困を描くと貧乏人が可哀想ですか。殺人を描くと犯罪被害者が可哀想ですか。成功物語は成功しない人を傷つけますね。虚構って何でしょう。誰一人傷つけない物語しか世に受け入れられないなんてことになればどうなるでしょう。もちろん、誰一人傷つけない物語はあり得ませんからそれは虚構の消滅を意味します。
細部がたまらん
てな話はいいとして、何度も書いてますけど細部がよくできた映画を好みます。細かいところに気配りがある脚本や演出、小さなことがぐっとくるシーン、そういうのたまらないんです。この映画はそんな細部の面白さにも満ちています。
例えば経理課のOL三人が「飲み会あるから来る?」というあのシーン。飲み会ってどんなだろうと思ったらファミレスみたいなところでちょっと飲んで食べてるの。そんでもって、もじもじそわそわしながらつたない会話をしているという、この小さな会の小さな演出は小憎たらしいほどいい感じ。
フィオナがおなか減ったというので「クッキー食べる?」と聞くと「そんなんじゃだめ、ギトギトのハンバーガーでないと」とかもとてもよろしいです。
フィオナの同僚で最初から主人公ジェリーを気に入っているリサ(アナ・ケンドリック)の嬉し恥ずかしのピュアなシーンや「怖がってごめん」なんていう台詞、これもとても細やかです。
猫と犬の会話もいいです。犬の「君はおりこうさんだと思っていた」あたりもいいですね。
細かいところの言葉や仕草、いろいろいいところがたくさんありました。お気に入りの一番の理由は細部の面白さが光っていたからです。
というわけでノーチェックで全然知らなかったマルジャン・サトラピ監督2014年の「ハッピー・ボイス・キラー」でした。おもっきり気に入りました。