社会派にして弱者への愛と力に満ちたベルギーの映画監督、ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌの兄弟による2005年の作品。
カンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞。受賞が全てではありませんが←そればっか この作品の持つ力に触れれば大いに納得です。
前作「息子のまなざし」ではカンヌで主演男優賞、その前の「ロゼッタ」ではパルムドール。未来に撮った「ロルナの祈り」でも脚本賞撮りましたよね。 うむむ、カンヌ総ナメです。
さて「ある子供」には若いカップルが出てきます。このサイトで頻出ワード、お待ちかね「駄目人間」です。特に彼氏。この若い男は全く以てどうしようもない駄目男で、男というより、そうです、子供です。社会不適合者にさえまだなっていない。完全に成長の遅れた男です。そして、ちょっとしっかりしてそうな彼女ですが、この男と普通につきあえている時点でやはり駄目人間の仲間です。
日常、暮らしていてよく思うことがありませんか?「なぜ、これほど頭が悪い人間がいるのだろう。というか、脳味噌、活動しているのだろうか」
多分、ちゃんと脳味噌が動いてないのです。アホはいます。多少賢いくせに思想心情的に人間として未熟なアホと、もうひとつ、何から何までアホであるピュアなアホです。
ピュアなアホ=駄目人間が生まれるのは社会的な要因が大きく、貧困であるとか、教育であるとかですね、愚者になることを目的化され量産されるアホ系駄目人間というのは多くおられます。私もその一人です。
この映画に出てくる駄目人間の行動はまるで動物です。目先の今だけで即物的に行動してしまったり、叱られれば反省したりします。もうね、見ていてイライラ、「お前、あほかーっ」と画面に突っ込み入れたくもなります。
しかしだんだんと、彼に対して優しい気持ちが生まれてきませんか?ダルデンヌ兄弟が撮る弱者は、良くも悪くもひたむきで必死です。その必死さは見ていて痛々しいほどす。もし賢ければ、あるいは経済的な余裕があれば、もっと世の中を広く見渡せることも出来るし、過去未来広い範囲で自分の行動が何にどう影響を与えるか想像することが出来るし、なにより「考える」ことが可能になります。それが出来ない駄目人間を通して見えるものは社会そのものです。彼らは社会の秩序のために篩(ふるい)にかけられる存在で、それは捨て猫や野良犬と同じなのです。
捨て猫や野良犬に憎悪を抱いて攻撃するような人も世の中にはいますが、同情心を抱く人もいるだろうし、同情ではなく純粋に愛でる人だってたくさんいます。彼らの捨て猫のような駄目さ、ピュアさ、必死さが映画からチクチクと迫ってきます。
駄目人間を犬猫と同列に扱うとは、お前自身が差別心のかたまりだと指摘されそうですがある意味その通りなので反論できません。
この映画の青年にはまだ未来があります。ダルデンヌ兄弟が描く映画の大きな特徴は、絶望的で辛い現状を心に傷が残るほど強烈に描ききる癖に、最後には何となく希望を感じさせてくれる不思議な後味を残すところです。ここに、この兄弟監督の人間への愛情を強く感じることができるのではないでしょうか。
2007.02.04
余談:
ヨーロッパはいいなあ。一文無しでも病院で子供が産めるんですよ。フランスでは出産、養育、教育、すべて国が負担しますからね。
日本なんかどうですか、ヨーロッパ並みの税金でアメリカ並みの福祉。笑っちゃいますね。
これは必見の名作
追記。訂正します。「ヨーロッパ並みの税金でアメリカ以下の福祉」です。アメリカの皆さん、失礼しました。
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