アデルのおかげでクスクス粒
何も知らなかったんですよ。で、予告編のアラブの音楽と人物の会話シーンに引き込まれ名作の予感とともにわくわくして臨みました。
名作の予感もクソもなくてですね、ヴェネチア国際映画祭、セザール賞で多重受賞の話題作です。監督アブデラティフ・ケシシュは2013年「アデル、ブルーは熱い色」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞していまして、多分パルムドール受賞がきっかけとなって「クスクス粒の秘密」も日本に紹介されたんでしょうか? 映画祭でやっていたらしいですけど一般公開もないまま2014年にやっとDVDが発売されるという、そういう作品でした。
こんな凄い映画が2007年にあって、誰も買い付けしなかったとはショック。買い付け師のみなさんもっと頑張ろう。
そんな話はどうでもいいのでして。
こんな映画
この映画がどんな物語かとざっと言いますとね、61歳港湾労働者のスリマーヌが序盤でクビになります。彼は寡黙な男ですが男前でしてね、モテます。大きな子供たちがたくさんいて孫もいるのですがどうやら離婚しているんですね。元妻の家に魚を届けたりして、年取ってからの離婚ですから完全に家族と離れてしまってるというわけでもありません。で、新しい妻・・じゃないな、多分結婚していませんので愛人と言いましょうか、愛人ラティファの経営している下宿みたいなホテルに身を寄せています。ラティファにはリムという娘がおります。
仕事もなく覇気もないのに元妻、元妻との間の子供たち、愛人、愛人の娘からとても好かれています。
で、クビになったスリマーヌは、やったこともないのに船上レストランを始めようと、愛人の娘リムに協力してもらっていろいろやります。レストランで出すメニューはクスクスを中心としたもので、このクスクス、元妻が作るという。
というわけでクスクスを出す船上レストランの開店に向けててんやわんやで・・・
うむむむ。こういう話なんですが、こういう話と聞いて思い浮かぶような名作映画のイメージというものがありましょう。
家族のわだかまりや人情や喧嘩や仲直り、労働者の頑張りや美味しい料理。可愛い娘に面白い家族に味わい深いミュージシャンたち、アラブの素晴らしい音楽に乗せて舌鼓をうちながら食べる母ちゃんの味クスクスに助役さんも喝采・・・
いろいろ想像出来るかと思います。わくわくするかと思います。
でもあのね
全っ然違います。
そういう映画と、全く違います。設定とストーリー説明から想像出来るような、安直で名作でいい話で泣き笑い劇場と思って観るとボロ雑巾のように投げ捨てられ椅子からずり落ちます。
「クスクス粒の秘密」、私も何も知らないものだから下町人情家族料理のお話かと思っていたのですが、まあ見終わったときは息も絶え絶え、胸騒ぎが激しすぎて心臓が苦しくなり、呼吸困難に陥り急いでたばこを吸い、喉が詰まって息が出来ないのであわててドリンクを飲み、そして椅子に縛り付けられたかのごとく微塵も動けません。人々の会話を思い返して背筋が凍り、脚本のあまりの鋭さに目は充血、映画部部室の暗闇では「凄い」「凄かった」の溜息のようなか細い声がこだまするだけの異常事態となりました。
これはぜひ体験していただきたい逸品です。でもただ体験してほしいと言っても映画の好みというのがあります。少なくとも、誰彼なしに人類全員にお勧め!とか、口が裂けても言えません。
ではこの映画の感想を書きますんで、ピンと来た人はぜひどうぞ。
娘が超可愛いです
娘というのはスリマーヌの愛人ラティファの娘リムです。この映画では準主役級のヒロイン。スリマーヌのことをとても好いています。レストラン開店に向けての役所周りなんかは、何もできないスリマーヌに変わってテキパキ話を進めたりします。
このリムを演じたアフシア・エルジの魅力たるや凄まじいですよ。もうほんと、言葉の発音の仕方までが可愛いです。そして超絶美少女なのにぷっくり太った体型とのギャップがまた可愛いです。聞くところによりますと、アフシア・エルジはこの役のために15kg太ったのだそうです。すごいですね。でね、15kg太る必要があったんですよ。それはぽっちゃり好感度なんかのためじゃありません。貧乏港町の庶民としての必然、そして最後に見せるある壮絶なシーンをより強烈に見せるためってのもひとつあります。多分。
この娘以外にも美女たちはたくさん登場します。娘たちや息子の嫁などです。遠慮ない物言いでズケズケやる彼女も美人だし「呪いの眼」の彼女も美人だし、ロシア人の嫁も美女だし、何となれば元妻や愛人だって美女ですし銀行の融資担当のおばはんも怪しい金持ちの妻も美女です。美女ばっか(ここ話半分で)
会話シーンの壮絶
家族のお話ですから家族が登場します。スリマーヌと元妻の間には大人になった子供たちがいて、毎週日曜日に家族で食事をします。映画の序盤ではこの家族パーティが描かれます。母親の美味しいクスクスを食べる子供たちとその家族です。
私はこのシーンが大好きですが、人によっては辛くて見てられないシーンなのだそうです。つまりしつこくて騒々しくて落ち着きなくて身勝手な連中の押さえることができない喧噪なわけだそうですが、いや、でも私はすごく楽しくこのシーンに溺れました。ちっとも厭じゃなかった。
この映画ではだらだらした会話シーンが何度か出てきます。このだらだら感が強烈に面白くて、彼らの会話に引き込まれます。
例えばアラブ音楽を演奏するミュージシャンたちの会話があります。ここも突出した面白さです。なんだか日常的な語り口でだらだら喋っているのですが、その中にとんでもない罠も仕込んでいます。そういえば最初の家族の会話シーンもそうでした。
綿密な脚本
脚本の力が壮絶なんです。だらだらと日常的な会話をしているその中に張り巡らせた罠は、後半になるにしたがって牙を剥いてきます。
練りに練られた脚本であることが映画を見終える頃には誰にも明らかとなり、背筋が凍るのです。
セリフだけではありませんで、人物の設定や物語の構成や、その他あらゆる部分で脚本の威力を痛感します。
ここを説明し出すと壮絶ネタバレになるので避けたいところですが言いたい気持ちもあります。どうしましょ。
ちょっとこの映画に興味持って「観ようかな」と思われる方はこの感想文も読まないほうがいいです。まずは観てください。
スリマーヌと息子たち
例えばスリマーヌは寡黙な男ですが、元妻との間の子供たちは全然違うタイプに見えます。その中で二人の息子に注目してみましょう。ひとりはロシア人の別嬪さんの嫁がいるのに浮気症で、悪さばっかりして嫁さんを泣かしています。もう一人は働き者でやさしいのですがトロいのです。二人の息子は、まったくもってスリマーヌの倅です。
映画の冒頭、スリマーヌの仕事ぶりを思い出してみましょう。1日でやる予定の仕事を2日も3日もかけています。仕事に対するこだわりからそうなったとも言えますが、段取りが悪く仕事がトロいと指摘されます。そして若い同僚がスリマーヌを手伝っていまして、その彼も「なんでお前が手伝ってるんだ」と叱られますが、これはつまりスリマーヌの人柄の良さを表しています。彼のために手伝ってやろうって気を起こさせるオーラの持ち主なのですね。
そしてスリマーヌは離婚していて愛人がいます。彼こそ浮気症遺伝子の伝達人であることが判ります。
二人の息子は、スリマーヌのこの性格をそれぞれ分けあっており、完全に分身です。
そして、この二人の息子こそが映画の終盤に向けて、物語的に引いてはならぬ引き金を引くことになるのですが、これがスリマーヌ本人の性格設定のなせる技、呪いの眼の象徴として発動します。
というような、ほんの一例ですが登場人物の何気ない発言や性格設定などが映画そのものと密接に絡み合っていて、そういうのが雪崩れ的にドバババーと押し寄せる怒濤のエンディングに向かって突き進むのです。怒濤ですが非常に静か、非常に静かですがアラブ音楽の狂騒、狂騒と同時に絶望でイライラ。
何に近いか
映画を終え、絶望とイライラが吹きすさぶ辛い余韻の中で頭に浮かぶいくつかの映画がありました。
「クスクス粒の秘密」を、どういう映画が好きな人に勧められるかという指標ともなりますでしょうか。
思わず連想した映画監督こそ彼です。
アッバス・キアロスタミです
そうですね、全然違う話だし似ていませんが、でも見終えたときのこちらの心境が近いという意味で似ている作品は「ライク・サムワン・イン・ラブ」でした。
会話の妙技や練りに練った脚本、イライラざわざわ胸騒ぎ、何となく共通点あります。
単純そうなプロットを追ううちにこちらが予想だにしなかった雪崩れ的恐怖に包まれる様などは「柳と風」とも共通点ありますし、してみるとこれは大きすぎる括りで恐縮ですがアラブ系の作品の特徴というのも多少はあるのでしょうか。さすがに言いすぎですかね、国も違いますし。でも何かあるような気がして仕方ないんですね。
そういえば「別離」なんかも遠からずです。すんごい突出したアラブ系映画の特徴、と、いやまああまり知らないのに少ないサンプルでこういうこと言うのも恥ずかしいのでこれ以上はやめておきましょう。
人間
ただイラつかせただ衝撃なだけのショッキング映画ではもちろんありません。
ベースとなっている部分は人間味に溢れています。それがベースにあるからこそのイライラなわけで、そればっかり強調するのもどうかとおもいますのでちゃんと言っときます。
アラブ系などと知らないくせに括りたくなる理由の一つは、アラブ系の人々のメンタルな部分が日本人としてとても近しいと感じるからです。
「クスクス粒の秘密」は明確にフランス映画なのですが、監督や登場人物はチュニジア人です。チュニジアはアフリカ大陸ですから中東とかアラブ諸国とかって範囲広すぎますが、それでもエジプトやイランや果ては中間地点のイスタンブールに至るまで、広い範囲でアジア的性格というかそういうのを感じずにおれません。
とても細かい部分で「そうそう、その気持ちの部分」っていう共感があります。
時には「さすがアラブ系、ズケズケ言って気持ちいい」ってところもあります。
娘が母に訴えるシーン、音楽家たちの会話、家族の会話、節々に広い意味でのアジアテイストを感じ取り、大いに親近感がわき起こるのですよ。これきっと多くの日本人もそうなると思います。今更小津安二郎の名前なんか出さずとも、染みついた何かがあるんです。
アラブの音楽
アラブ音楽のリズムもお馴染みです。ドタッタドッタ、ドタッタドッタのリズムに乗せて映画の後半は音楽がこれでもかとばかり堪能できます。
実は堪能どころかまさに「これでもか」攻撃なわけで、これ人によっちゃトラウマになりアラブ音楽が嫌いになってしまわないかと心配します。
終盤
映画の終盤についてはさすがに口をつぐみます。
「クスクス粒の秘密」はとてつもない映画でした。
2007年ヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞、審査員特別賞受賞、インディペンデント・スピリット賞外国映画賞ノミネート、ベルリン国際映画祭シューティング・スター賞、国際映画批評家連盟賞、SIGNIS賞スペシャル・メンション、ヤング・シネマ・アウォード、セザール賞作品賞監督賞有望若手女優賞オリジナル脚本賞受賞。
2008年の東京国際映画祭、2013年地中海映画祭で上映されました。映画祭って貴重ですよねえ。
※ 2ページ目を追記しました。ネタバレ系ですのでご注意ください。