架空の国ズブロフカ共和国の激動時代を背景に、由緒正しきホテルのコンシェルジュたちが活躍します。
仕事の理想を描くはたらくおじさんホテルマン編であり、事件に翻弄されるミステリーであり、政治的激動に巻き込まれる哀れな庶民であり、そして何より知性と教養に満ちた登場人物たちのいい人物語でもあります。
冒頭は書物に惹かれる少女です。彼女の手にした本の著者はすでに過去の人であり、その書物の内容は著者が出会った年老いたホテル経営者から伝えられた半生です。
少女と本。本の著者。著者の若い頃。その頃のホテル。出会った年老いた経営者。経営者の話。経営者の若い頃。その頃のホテル。
このように冒頭から序盤はいきなり多重構造です。どうなってんのどうなってんのとあたふたしつつも観客は自然にズブロフカ共和国とホテル経営者の若かりし時代に飛ばされます。折り重なった伝聞形式から物語りが始まるこの序盤は、さしずめ伝聞のトンネルです。このトンネルが観客を巻き込みタイムスリップを果たすんですね。
映画の終わりにはまたすーっとトンネルを逆流して冒頭の少女へと戻ります。彼女の手にした書物が時代と人々を包み込み、この物語の最初と最後を締めくくります。この構造は非常に重要です。単に昔懐かしい定番の構造というだけではありません。
伝聞と書物は知性と愛に裏打ちされています。映画本編を見終わった観客にはその重要性をすでに肌で感じ取っています。
本編のドラマは、激動に翻弄される職業人の歴史と事件と仕事の物語です。この物語の登場人物たちはあらゆる意味で理想の人間であります。知性があり自由を心得ており他者を気遣う優しさに満ちていて、職業に誇りを持ち人としての尊厳があります。そうです、久々に登場する「美藝公」的なる理想人間たちの物語です。架空の国の政治的背景を根底に持つ物語という点もそう感じさせる一因です。
ウェス・アンダーソンの映画は大抵どれもそうなんですが、最新作「グランド・ブダペスト・ホテル」では人物たちのいい人感が抜きん出ているように感じます。あまりにも良い人たちの良い物語です。もちろん悪人もいますけど。
コミカルで楽しくて構図が綺麗で立ち居振る舞いが可笑しくて、そしてとても良い人たちが活躍します。まさに粋の物語、最後のほうにはサービス精神たっぷりの見せ場があったりもします。
そういえばエンドクレジットの可愛さもずば抜けておりましたね。
こんな良い映画なのに見終わると深みと余韻を感じさせます。感じない人ももちろんいるでしょうし感じなくても全く問題ありませんが、何か引っかかる感情を抑えきれません。
これは何事でしょうか。
ちょっと思うところがあります。近年、強烈なほどの理想的人間が知性と愛に満ちた理想的な物語を築く物語を立て続けに見ています。
どれも同じ印象を残します。
独断が過ぎますが書きますとそれはアキ・カウリスマキの「ル・アーヴルの靴みがき」とジム・ジャームッシュ「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」です。
これらはたまらなくいい人たちによるいい話で、知性と自由と愛が描かれた理想郷ファンタジーであります。根底に横たわるのはただのいい話ではなく、社会への警鐘です。
「グランド・ブダペスト・ホテル」が先の二本とどれくらい共通項を持っているかはわかりませんし、言い切るには抵抗もありますが、観た感想を率直に言えば「ル・アーヴルの靴みがき」「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ”」「グランド・ブダペスト・ホテル」の3本は同じ種類のファンタジーであり、それは知性の賛美であり芸術家の悲鳴です。
てなわけでそういう感じ方はともかく、内容に関してはこれはもう何かを言う必要などまったくないパーフェクトな出来映えで、細かいところに命が宿り、面白さに満ちております。ありとあらゆる人が楽しめます。ヘンコな反社会派の絶望人間が観ても思わず目がキラキラします。なんて素敵な映画なの。
ウェス・アンダーソンの作品はどれもこれも本国で大ヒットしているし、この人の映画がきっちりヒットしている限り世界はまだそんなに捨てたものじゃないのかもしれないと思えてきたりします。