以前の「スーパーマン」はいつでしたっけね。わくわくして観に行きまして、安っぽくない「ちゃんとした作り」のスーパーマンにわりと度肝を抜かれたものでした。基本的に面白く観ていたんですが最後のクライマックスでやらかしてしまって「なんだこりゃ馬鹿馬鹿しい」と呆れ果てた思い出があります。やらかしたってのはあれのことですよ、あれ。ストーリー全否定の無理矢理でやりすぎの解決方法を取るところです。
あれから何十年か経って、「バットマン」で「渋い作り」のアメコミ映画を作って世界のトップとなったクリストファー・ノーランがバットマンでは飽き足らずスーパーマンでまたやるという。
流石に監督まではせずに、ザック・スナイダーがメガホンを取りました。
ザック・スナイダーは「ドーン・オブ・ザ・デッド」と「ウォッチメン」を観ましたが、アニメ的活劇を得意とする監督なのでしょうか。元気いっぱいな演出をする人っていう印象ですがあまりよく知りません。
で、今回のスーパーマンはどうするんでしょう、と観る前は心配します。
だって昔の「スーパーマン」のころとは違って、今では「バットマン」とか「スパイダーマン」がすでにあります。「スポーン」だってすでにあります(これはどうでもいいか^^)
たくさんのヒーロー映画でCGのアイデアもたくさん出てしまってるし、真面目風や深刻風やアクション大活劇風などいろんな演出技法も出尽くしているように感じます。たくさんの前例を踏まえて、それでもスーパーマンを作り直すにあたってどのような新しいアイデアがあるのでしょうか。そこんところに注目です。
で。
新しいアイデアってのは、いろいろあるものですねえ。世界にとどろく面白娯楽産業の粋を集めると、出尽くしたと思っていてもまだまだアイデアを捻り出せるということがわかります。
「マン・オブ・スティール」では「バットマン」とはまた違うシリアスさの演出が採用されます。インディーズ風ナチュラルドラマの技法です。画面を包む色合いとかトーンとか演出がですね、こういっちゃ失礼ですがサンダンス調っていうか、ニューヨーク派の文芸作品みたいなそんな感じで攻めます。
これがわりと面白いんですよ。やってることはただのスーパーマンの前振りなんですけど、撮り方がサンダンス風なだけで何かじっとり面白く観れますよね。
そんでもって、してやられた感に包まれます。クリストファー・ノーランはもともとそっち世界で猛威を振るってきた人ですから、何でも知ってるんですね。「ちょっと一部のお客さん、あんたたち、こういう作風が好きなんでしょ。ほら。こんな感じ」とバレていてコントロールされています。何かくやしいな。
その感じも途中までで、あとは新たなアイデアの活劇です。
正直、活劇シーンに新しいアイデアなんかあるのかと不信感を持っていましたが、これがあったわけで、ドラマ部分のサンダンス調とはうって変わり、こちらはとことん漫画調で攻めました。
シリアスやリアル感は吹き飛び、マンガ世界の再現のような、とてつもないスピード感とど派手感で責め立てます。こちらは凄い凄いとただ口をあんぐり開けて眺めていることしかできません。戦いの後は息も絶え絶えです。
いやほんと、すごいもんです。わーわー言いながら観ました。
さて昔の「スーパーマン」はクライマックスが出鱈目に荒唐無稽だったせいで印象が悪かったのですが、「マン・オブ・スティール」の最後もやっぱり出鱈目に荒唐無稽です。地球のあっちとこっちでピンポンとか、かなり笑えます。でもこっちのほうが好き。同じ無茶苦茶でも時間を戻すとかアホみたいな反則技よりずっといいです。無理矢理なリアルなCGがどどどーん、どどどーんと責め立てますし、たまりまへんなー。
クリプトンの演出は昔の「スーパーマン」の水晶キラキラ世界のほうがファンタジックで好きです。「マン・オブ・スティール」のクリプトンはちょっと古くさくて泥臭いデザインでした。ま、これは大きな問題ではありません。
出演者、ヒロインがエイミー・アダムスです。かわいくて素敵、コミカルエンターテイメントからシリアス心理ドラマまで、キュートさと壮絶演技力を併せ持つエイミー・アダムスはみんなのアイドルですね。
そうそう、もうひとり悪者のボスに注目です。わりと最近知ってその演技力におののき尊敬してやまないマイケル・シャノンが起用されています。
マイケル・シャノン、そうです。「狂気の行方」と「BUG/バグ」と「テイク・シェルター」で天才性を発揮した怪優ですね。
悪者のボスという単純な役ですが、力を発揮したのではないでしょうか。
大ヒット映画の出演は大出世です。でも今までみたいな壮絶演技力の映画にも是非出てくださいお願いします。