思想や感情、食べ物から子作りまで管理される近未来、管理社会の絶望を描いた物語です。
資本主義の末路がどのようなものになるかは19世紀からすでに明らかで、20世紀にはそれが十分現実味を帯びてきており、その危機を啓発するSFがかつてたくさん創作されて来ました。
個人の自由を脅かす全体主義的管理社会への嫌悪は60年代がピークで、その後は急速に萎んでいきます。現代は自由を畏れ、管理され制限されることに喜びを見いだす「出来上がった」民衆がすでに多数派となり、かつてSF作家が畏れていた未来は普通に到達しつつありまして、SFと違うところはそれに違和感を感じる人間は自由のために奮起するヒーローではなく単なる負け組クズとして社会から脱落するだけであるという現実です。
「カレ・ブラン」はまるで60年代のテイストで管理社会の歪を描きます。最初は理不尽さに耐えがたい思いをする少年だった主人公は大人になる頃にはすっかり管理側の人間になります。
映画はとことんスタイリッシュです。そしてこれまた懐かしい不条理系シュール系ナンセンス系テイストに満ちています。
「1984」「華氏451」「時計じかけのオレンジ」「ウルトラセブン/第四惑星」「電気羊」「新宿コンフィデンシャル」などが思い出されますね(一部へんなのまざってますか)
スタイリッシュで不条理系で、恐怖とコミカルの狭間感もしっかりあって、個々のエピソードというかディティールはよく出来ています。でもやはり思うことは斬新さの欠落です。こういうの、どうしても「昔の斬新さだ。懐かしいな」と思ってしまうんですね。先日書いた「アンチヴァイラル」と似たような系統と感じます。
一時期「レトロフューチャー」っていう、昔懐かしの未来というのが流行りました。
「カレ・ブラン」や「アンチヴァイラル」の懐かしさもそのようなものと同じ流れとして受け取るのが正解なのかもしれません。
ファッションなんかではサイクルが短くて、10年か20年前に流行したものが繰り返し流行ったりします。若者にとっては未知の大昔で目新しく感じたりするんですね。ほんの数年前に流行ったものはダサくて、10年前に流行ったものはカッコいいということになります。そういうのを年寄りが横で見ていると半ば呆れながら「へえ」って思ったりするわけですが、なんと、映画も同じなのです。
「カレ・ブラン」や「アンチヴァイラル」の懐かしさに若干の羞恥を伴うのは多分世代的な部分なのでしょう。シュール系不条理系ナンセンス系キューブリック系第四惑星系の大好きなテイストなのに今それをやられたら気恥ずかしくて「ひゃーっ」ってなってしまうのは作品に罪があるのではなくこちらの年齢のせいだったのです。ひゃーっ。
でも懐かし系の中でも、まったく羞恥を感じずに、やっぱりこのテイスト好きだわあっていう感想を持つ作風もあります。個人的にラテン系マジック系広角系なんかがそうですが、違いはどこにあるのでしょう?やっぱり作品の出来映えなんでしょうかねえ。精神分析的に深い問題かもしれぬと今ちょっと思いました。
さて「カレ・ブラン」は恥ずかしいばかりではなくいいところもあります。さっきも書いたように個々のシークエンスは面白いしスタイリッシュで洒落てるし不条理系ギャグとの混ざり具合やSAWっぽいゲームもいい感じで、それからフランス映画らしく普通に愛の物語が根底にあったりします。女性が素敵でカッコいいとかもあります。
監督・脚本のジャン=バティスト・レオネッティはテレビドキュメンタリーやCM制作などでキャリアを積んだ後、短編映画で多くの受賞を果たして映画制作会社を設立して「カレ・ブラン」が初長編映画だそうです。
思った通り1967年生まれ。ちょっと若いが影響を受けたものたちが世代的に被っているであろう事は明白です。
かつて「同時代性」という言葉を知ってあれこれ読みふけっていたときは年上の人たちの他人事だったのですが、だんだんと実感として理解出来るようになってきたのでして、複雑なところです。