まああの、正直に言いますけどレオノール・ワトリングを見るためだけに引っ張り出して見た「マルティナは海」です。サスペンスフルで官能的な愛の映画です。
2013年の4月に亡くなった巨匠ビガス・ルナが監督で、それもあって13年に観たわけですけど、他の作品知りません。いえほんとはレオノール・ワトリングの官能だけが目的の不純な動機ですはい。
序盤がいい感じです。
市場で買い物をし、自転車で颯爽と走り、ラジカセ聞きながら洗濯物を干し、家の商売を手伝います。下町の娘です。看板娘です。このあたりはほんとに序盤なんですけど、このへんがお気に入りです。田舎町の雰囲気も大層よろしいし、おうちが経営しているお店も家族もいいです。もうレオノール・ワトリングが良ければすべて良く見えます。キラキラ輝きます。
下町の娘ゆえ、文芸的なるものに憧れも持っていまして、そこで登場する恋のお相手、教師でロマンティスト優男です。詩の朗読なんかするもんだから一発で恋に落ちますね。
文芸的なるものに憧れを持つどころではなく、変態性に満ちてまいります。つまり詩の朗読で萌える変態性豊かな言葉攻めの詩フェチ世界へまっしぐらです。
教師でロマンティストで優男のこの彼氏というのが、ふにゃふにゃの妙な野郎でして、この男のいったい何が良いのか私にはさっぱりわかりませんがそれはもちろん嫉妬ではありませんよ。でもこの変な文芸野郎にレオノール・ワトリングはメロメロで詩を読まれれば涎を垂らさんばかりの興奮状態に陥ります。
こうしてメロメロ官能状態に陥る彼氏と彼女ですが、さくっと結婚なんかしましてね、とんとん拍子なんですがしあわせはいつまでも続きません。
夫となっても夢見がちな軟弱文芸野郎がですね、ある日ですね、大変なことになるのでしてね、マルティナはさあ大変、人生が大きく変わります。
そしてその後、二転三転しながらサスペンスフルに、かつさらなる官能の物語へと突き進みます。堕ちる物語と言っていいかもしれません。
ここまでくれば破滅しか残されていないという、そういう深淵へと物語は雪崩れてゆきます。
というような「マルティナは海」ですが、個人的な感想として見どころは序盤の下町テイストに満ちた看板娘の部分や官能シーンということにどうしてもなってしまうのでして、いずれにしてもレオノール・ワトリングを堪能するための映画と言い切っても差し支えないかもしれません。下町の小娘からエロティシズム溢れる変態雌豹、高価な衣装に身を包んだマダム風味と、七変化も楽しめます。
エロス以外では地中海の周りの街並みや風景に溶け込む登場人物なんかもとても綺麗。
物語の後半は悲劇へ向かって堕ちてゆく二人の哀れさなんかも表現していて、だからこそ高級車を乗り回す変態マダムの姿なんかより序盤の元気いっぱいだった頃が良かったよね、どこで人生間違ったのかね、悲しいね、不可逆だね、なんていうやや心掻き毟られ系の感情を起こさせる文芸作品でもあるわけですね。
「マルティナは海」は「トーク・トゥ・ハー」より前の作品でして、ペネロペ・クルスにしろレオノール・ワトリングにしろ、ペドロ・アルモドバルではなくてビガス・ルナが見い出したのであるというのがその道に詳しい人の常識であったと知りました。