「天地明察」は、星に魅入られた碁打ちの男が、観測と計算と努力と根性で日本独自の暦作りという大プロジェクトに励む物語です。一種の「はたらくおじさん:暦編」で、星オタクの頑張り物語で、その中に定番娯楽要素をいろいろ散りばめた娯楽時代劇です。
面白かったところは何と言っても前半、岸部一徳と笹野高史のコンビがフィーチャーされる北極星観測の旅です。まあこのお二人の掛け合いはお見事。オーラ出まくり、画面もびしっと締まります。
映画全体に見られる優れた美術セットも見どころです。観測機の再現や塾や江戸城の内装、小物から着色まで、「天地明察」に登場する美術は懲りに凝っています。
それから中井貴一氏演じるところの徳川光圀です。クライマックスに突入する直前、障壁画の前での盛り上がりシーンは最高でした・・・
こんにちは。映画の感想文をお気楽に書いているMovie Booです。いつもいつも読んでいただいてありがとうございます。と、唐突に書き手が出てまいります。
こうして感想文や紹介を垂れ流せるのは、書き手が単なる一般庶民のミーハー映画ファンだからです。公的な約束事にも業界の約束事にも、何にも制約されることなく好き勝手に書いています。基本的に無責任です。この姿勢は楽ですよ。垂れ流し、チラシの裏、日記代わり、何でもいいです、その通りです。仕事の息抜きや現実逃避の時間にたらたら書いています。
しかし「天地明察」だけはそういうわけにはまいりません。他人のふりして適当な感想文を書けません。何故かというと末端とは言え、この映画の製作に携わったからです。
「天地明察」の撮影が行われたのは2011年の夏です。その直前に、撮影所でのセット作りが激しく行われ、その一部に参加しました。
私が担当したのは江戸城本丸大広間の障壁画です。中井貴一氏の背後に控える大きな紅白梅図を描きました。西洋風のリビングルームみたいなところの美術の一部も手がけました。これらは美術監督の部谷京子氏が特に力を入れていた場所でもあり、私にとっても憧れの映画の仕事というので、もうね、命を賭ける勢いで挑んだのでありまして、実際「天地明察」を観に行っても、自分の描いたところがどのように映るかということばかりに気が向いてしまい、そわそわしてあまりのめり込んで観ることができなかったほどなのであります。
のめり込めずにどのように観たのかということを、MovieBooではない別のところに感想文を書きましたので、こちらをお読みくだされば幸いです。観客目線ではなく、ちょっとだけ関わって喜んでる職人の目線による感想文です。→「天地明察」絵の演出
それから、どのように関わったのかという職人工程記録もあります。→巨大障壁画ができるまで
というわけでですね、いろいろあちらこちらに書いていまして、ですのでね、Movie Booの記事として今更「天地明察」について何を書くことができようか。
いや、まあいろいろ思うところはあるのですが、どうしても普段のように遠く外から眺めて感想を垂れ流すことができません。
「卦体やなあ」とか、面白いけったいなところもいろいろあるんですけど。京都での町民がたくさん出てくるシーンでの「ほんまは今日が凶って、娘の嫁入りやがな」「それはおめでとうさん」とか。細かく面白いところも多いんですけど。
携わろうが純粋観客だろうがミーハーなことに代わりはありません。撮影所のミーハー話をいくつかしてお茶を濁します。
絵を描き終えて、美術監督さんに撮影を見学してみる?とお誘いいただいて一部撮影を見学しました。光圀と算哲が最初の会合を行うシーンでした。できあがったばかりのセットに、中井貴一氏と岡田准一氏らが登場して、食卓シーンを撮っておられます。「さあ食え」のあのシーンです。
興味深かったのは滝田監督の演出方法です。同じシーンを、カメラの位置を変えたり、セリフの言い回しを変えたりしながら何テイクも撮られているんですが、その都度、役者さんのアドリブを含めたりするんですね。コミカルにやったり、深刻そうにやったり、印象もころころ変えます。これは意外でした。なにもかもをビシッと決めてから監督のイメージ通になるまで繰り返すような、そういう撮り方とは全然違うんですよ。アドリブを交えて自由な雰囲気で撮り、あとで一番いいと思われるテイクを採用するんでしょうね。
滝田監督も楽しそうで、中井貴一氏のアドリブの機転に「カット」のあと大笑いで「いまの面白かったねえ」なんて言っておられてました。
どなたもスタッフや職人に対して礼儀正しく、私なんかにも丁寧な言葉をいただいてありがたいことでした。
というわけで感想にもレビューにも何にもなっていない「天地明察」でした。皆さん、この映画を観て美術セットを褒め、障壁画を絶賛しまくり、またこういう仕事が私に舞い込むようぜひ応援してください←こら
ちょっと追記してみます。公開から一ヶ月、そろそろ上映が終わったところもあると思います。短いですね。映画というのは、時間と空間を占める芸術ですから、上映が終わればそこまで、と、刹那的なところもあります。でもまたどこかで遅れて上映されたり、いずれDVDになったりしますから、そういう意味ではずっと長い期間、多くの人の目に触れることになるんですね。
さてここで急に冷静になって、いつもの調子で「天地明察」の全体像を眺めてみます。
まず避けて通れない原作です。ベストセラーの大ヒットで、読んだ方はたくさんおられるでしょう。私はまだ未読ですので何も言えません。というわけで原作との絡みについては避けて通ることにします。
さてとても面白かった前半、そうですね、神社の境内で主人公と後の妻えんと出会うシーンを始め、算哲の一本気で無茶なところをコミカルに描きまして、ほほえましい序盤の展開です。
こういう感じ好きです。というのも、この前半の流れを見て、ある漫画を思い出して好感度がぐーっと上がったんですね。その漫画とは、手塚治虫大先生の「陽だまりの樹」です。
あれにでてくる万次郎のイメージと算哲が重なります。お寺の娘さんに一目惚れするシーンなんかがあったりして、神社でえんと出会うシーンと重なります。純粋ピュアでまっすぐなキャラクターです。「漫画みたい」というと褒めてることにならないのかな。そんなことないですよね、「陽だまりの樹」のような名作を思い出せてくれるなんて洒落ています。
後半はちょっとコミカルさが影を潜め、流れがサービス強調型になったりしますが、全年齢が楽しく見るための工夫と言えなくもないです。貴族たちの麻呂言葉や京の町民たちのシーンでくすぐるような面白みも出してきます。ああいった可笑しさをちゃっかり含めるところが、大袈裟になりすぎずいい感じなのではないでしょうか。
ある緊張のシーンで、刀を握って血がにじむというお約束的なシーンがあります。でもその直後、切れて血まみれの筈の手は傷一つなく、綺麗な着物の女房を抱きかかえても血はつきません。このシーンを見て憤るもよしですが、そういうリアリズムをポイと捨てて幸せいっぱい感を派手目に演出するというのは、これは大団円の表現として大いにありです。「細かいことはいいとして、ようやったようできた、おつかれさんおつかれさん」という、そういう演芸的なノリも感じるのですね。
というわけで、エンドクレジットに流れる我が名を見つめ、映画制作に参加できた喜びにむせび泣いたあの日から一ヶ月、ほんのちょっといつもの調子で感想とも紹介ともレビューとも自慢ともつかぬ戯言を追記いたしまして、ついでにお気に入りの最強顔マークを付けたりして、そんなこんなでみなさま今後とも一つよろしくお願いしますとご挨拶なんぞをしてから今日はこのへんで。
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