実際に1950年代にこのような実験が行われていたらしい。つまり、調査員がある家にべったり居着いて、住人の台所における行動を観察し続けるんです。ただひたすらじーっと観察します。昆虫を見続ける昆虫学者みたいな仕事です。これを大真面目にやります。まったく、面白いことを思いつくもんです。
調査対象者には馬がプレゼントされる。調査員のルールは「完全な守秘義務」「被験者と会話をしてはならない」「家事を手伝ってはならない」
調査対象者である初老の独身男性イザックの家に調査員の冴えない中年男性フォルケが訪れます。会話のない気まずい妙な雰囲気がたまらなく面白い序盤です。
この二人に、対象者イザックの友人グラント、調査員の上司、別の調査員グリーンなど、様々な大人たちが絡みながら、じわりじわりと物語は進みます。
登場人物たちは中年から老人に近い年齢の男ばかりで、彼らが皆、得も言われぬ味わいを醸し出します。全員がいい感じです。単純な感情表現はありません。常に複合的な感情の上に成り立つ大人です。この複雑な中年男をスマートにシニカルに表現する演技と演出、素晴らしいの一言。
冒頭や本編の随所に、洒落た音楽とモダンな演出も用意されていて、映画をきゅっと引き締めます。
そしてくつろぎとコミュニケーションの大人の必須アイテム、煙草とコーヒーがこの映画の重要なシーンで登場しています。そういえば、この映画はまさにジム・ジャームッシュ「コーヒー&シガレッツ」の一話であるかのような物語です。
バルト海沿岸部の民族問題、第二次大戦までの各国の政治的対立など社会派ネタやお国の話題が会話の中に登場します。設定や舞台、登場人物の年齢を考えて当然のことですが、ちょっとだけベースを知っておくと彼らの会話がより面白く感じることでしょう。
ノルウェーは第一次大戦時は中立国、第二次大戦ではドイツに侵略を受け、フィンランドは「ククーシュカ」を見ても判る通りドイツやロシアに挟まれしっちゃかめっちゃかでした。そんな中、中世の元大帝国スウェーデンは小国へ一転し、福祉国家の武装中立国となり、第1次第2次ともに大戦に参加せず義勇軍を出したり人道援助はしていたものの国内外から批判を浴びたようです。なんという大雑把な説明。
まあしかし政治の問題はこの映画にはほとんど全く関係ありません。バルト沿岸諸国の人には常識でも、意外と知らない余所の国の事情というものですからベースとして一応。
北欧映画の、というほど北欧のことを全然知りませんが、狭く知っている範囲だけでみても、とぼけた味わいや独特の間合い、シニカルな笑い、面白く暖かい人々、洒落た小道具や音楽や演出と、どの映画もびしびしと琴線に響くのはどういうことでしょう。田舎を舞台にしながら、その内に秘めた都会的で洗練された感覚は世界に通用する魅力に満ちています。もちろん、世界に通用する魅力に満ちた作品であるから世界に紹介されているエリート映画ということでありましょうが・・・。
咥え煙草で診察する医者、無骨ながら嫉妬するほど友達思いの男、田舎に手紙を書いて送ってもらうニシン、綺麗な名前を聞いて「花の名前のようだ」と言う初老の男、「大変だ!」と、何が大変かというと「酒が切れた!」と騒ぐ調査員、かなりいい加減な偉い博士、トレーラーハウスの軍団、ぼーっと立つ国境警備隊員にいたるまで、細部の味わいは超絶レベルの一級品。
ベント・ハーメルは1956年生まれのノルウェーの監督・脚本家・プロデューサーで、フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキと同世代ですね。やっぱり。近いものを感じますよね。ジム・ジャームッシュもほんのちょっとお兄さんですがこちらも同世代と言っていいでしょう。若い世代の新しい映画の人、なんて思っていたら、もうベテランの巨匠って年代になってしまわれているわけですね。当たり前ですがな私もおっさんになってます。
つまり北欧テイストなどと言いますが、実は国を超えた同時代性というものも感じないではおれません。「国の差より個人差」と言った先生の言葉を思い出します。
「卵の番人」(1995)が長編映画デビュー作。カンヌ国際映画祭で初上映され、トロント国際映画祭で各賞を受賞しました。この映画、DVD化してないか日本に入っていない模様。切望ですね。切望。VHSならありますね。「エレンディラ」と同じ運命か・・・
「キッチン・ストーリー」と最近の作品「ホルテンさんのはじめての冒険」はアカデミー外国語映画賞のノルウェー代表作品に選ばれたそうです。
「ホルテンさんのはじめての冒険」を観て以来ずっと気になっていてようやく見ることができた本作。
大人の味わいが分かるあなたにお勧めしたい素敵な逸品。
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