イラン出身のアッバス・キアロスタミ監督は今やイランで映画を撮らず、常に海外で撮っています。実験的で攻撃的でユニークな作風で知られた巨匠ですが私は「明日へのチケット」の短編しか観ていませんので監督については何も語りません。
「ライク・サムワン・イン・ラブ」は日本を舞台に日本の俳優が演じています。タイトルはスタンダードナンバーから取られており、当初予定されていた「The End」というものから変更されたそうです。劇中ではエラ・フィッツ・ジェラルド版(多分)が流れます。元大学教授のお気に入りのようです。
「始まりも終わりもないのだ」と監督は言っているそうですが、確かにドラマとしては、まるで途中から始まって途中で終わっているかのような、何か大きな物語の一部を切り取ったようなそんな作りです。
コミュニケーション時の人物の捉え方や撮り方に技術的な特徴もあり、演出なんかもとてつもなく奇怪です。
一見リアリズム系の抑揚のない映画に見えたりしますが実のところリアリズムとうそリズムの混在した、静かなようで忙しい、淡々としているようで激しい、そういう大変な作品でした。
ある種の良い映画というのは観ている間の時間感覚を完全に取り払ってくれる映画です。シーンを見ながら「今序盤」「今半分くらいだな」「そろそろクライマックスくるな」てなことを意識させるのが普通の映画で、そういう時間感覚を取っ払う作品ってのがたまにあります。今が映画的にいつなのかなんてことを完全に脳内から消し去るんですね。エンディングが唐突にやってきて「えっもうそんな時間」と驚かせます。
それが可能なのは、シーンごとの尺の長さやストーリーの抑揚が特殊なために一般的な物語のお約束から外れていること、そしてもうひとつは力の演出で観客をのめり込ませて時間感覚を麻痺させることに成功しているからです。
さてこの映画を「淡々とした進行」と思っている人もおられましょうが、淡々としているどころか、私はとても激しい映画だと思って観ていまして、手に汗握るわドキドキするわイライラするわ、それはもう手玉に取られまくりで大変忙しい目に遭いました。
特に車です。例えばほら、車の出し入れするシーンが何度も出てきて、必ず小さな子供がいたりします。赤信号のシーンも何度も出てきます。カーブとかもです。
もうね、怖すぎませんかこれ。車のシーンの度に身構えましたでござるよ。
車のシーンの度に恐れおののき緊張しまくり、そして直後ほっとしますが、すぐまた車のシーンで恐怖します。
この恐怖は冒頭の会話シーンも含めて映画内すべてに横たわる不穏です。じわじわと緊張感と恐怖を盛り上げます。
「こんどこそやらかすぞ」という気持ちに一体何度やられたことか。そんでもってですね、「こんどこそやらかすぞ」のピークにですね、あーっ、と、こう、まあ、あんなことになるのでして、もうこのカタストロフはたまりません。これは最早「隠された記憶」か「ファニーゲーム」ですよ。
ぜんぜん静かなる展開じゃないんです。ホラー映画のようにフェイントをかけながらじわりじわりと恐怖への期待を盛り上げ、最高潮を迎え一気に放出します。これを真のサスペンスと言わずに何という。
スリラーとしても大変よくできていて、一見他愛もない会話を延々とやっているふりしながら、実はスリラー進行が裏でしっかり進んでいます。このドキドキ感もピークを迎える頃には映画全体がイライラモードレッドゾーン突入中でして、電話は鳴るわ電子レンジは鳴るわもう、全てが収束に向かってどどどーっとやってくるラストの展開はまさに狂気の世界ピークの破裂ゴダールの銃撃戦の如しです。
「始まりもなければ終わりもない」なんてとんでもなくて、そりゃあまあストーリー的にはそうなんですが、映画的な意味ではこれほどの強烈なラスト、そのラストへ向かうための周到で綿密な構成が完全に機能しております。実に見事でパーフェクトな「終わり」だと思いました。
ところでうちの電子レンジも比較的新しいものですが、シンプルなデザインで気に入っているものの、ひとつだけ気にくわない点は、暖め終わって放置していると「もうできてるのよー早く取ってー」とね、ピーピー鳴きよるんですわ。これがもうしつこいのなんの。中身を取り出さない限りいつまでもピーピー鳴き続けます。これってうちのだけの欠陥機能だと思っていたんですけど、みんなそうなんですか?今時の電子レンジの特徴ですか?この機能は最低ですね。
「明日へのチケット」でのアッバス・キアロスタミ監督パートのあまりの不思議っぷりとユニークさにメロメロになって以来、この巨匠の作品は観たいリストの中ほどにいつもありました。なのに観ておらず、公開時に逃してやっとの事で「ライク・サムワン・イン・ラブ」をこうして観ることができました。いやもう何という魅力的で攻撃的で独自な映画なのでしょう。時間を忘れるどころか、我を忘れて画面に見入っておりました。