ただ何となくほのぼのした映画ってわけでは決してありません。とてもユニークで、多くの魅力が詰まった逸品です。
単にショーン・ペンが変な恰好をしているというだけでも面白そうで「これ観たいな」と思っていましたが、いつものように公開から遅れて観ることになりました。
この作品、歌を辞めた元ロックスターの金持ち駄目人間のお話です。いえ、ぜんぜん駄目人間なんかじゃないんですが、多分一般的には駄目っぽく見えると思います。このよれよれの男が、途中ある目的を持つことになりまして、それで旅をするというふうになってきます。
ただのロードムービーとちょっと違って、ものすごくロードムービーっぽい自由さと、目的に沿ったスリラー・ミステリー進行が両立しているのが特徴です。かなりユニークです。
へろへろでよれよれで小気味よい可笑しさってのが全編に充満していて、それだけで十分に一本の映画作品として面白いです。ジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキが好きな人ならきっと気に入るはずです。
細部のエピソードの面白さは一級品。もぞもぞするような変な気分を存分に味わえます。まじでめちゃ面白いです。「嘘ついてます?」とか「ぼくだってキッチンぐらいわかるよ」とか、もうね、たまりません。ショーン・ペンすごすぎ。
そういう面白さに、もうひとつ不思議なスリラー・ミステリー要素が合体しているのが実に不可思議で面白い効果を上げています。
そんでもって、この映画はある年代の人達にはビシビシ迫り来る何かがあることでしょう。
どの年代の人かというと、トーキング・ヘッズの年代です。
特に「Remain In Light」や「Speaking in Tongues」そして「Stop Making Sense」あたりまでのノリノリのあの頃の世代にとっては、映画の原題に使われた「This Must Be the Place」と、それから特別出演しているデヴィッド・バーンとともに、大きくぐっと来ること間違いなし。
監督のパオロ・ソレンティーノはもう少し若い世代ですが、リアルタイム世代より、その頃が「憧れの過去」であったという記憶が、より強い影響力や尊敬を発生させたのかもしれません。
(監督はもしかしたらリアルタイムではこの子ぐらいの年だった?)
パオロ・ソレンティーノがショーン・ペンを迎えて映画を作ることになったいきさつ、デヴィッド・バーンに「曲名を映画タイトルにしていい?ついでに曲作ってくれません?出来れば出演もしてくれません?」と駄目元で連絡取ってみたら何と快く引き受けてくれたいきさつとか、そういうのがいろいろ公式サイトに載っています。
変なおっさんがこんなブログでだらだら書いてることよりよっぽど面白いいい話なので、詳しい事情はそっちをお読みください。
→ 公式サイトのインタビューページ
ウインドウ幅が幅広固定で読みにくいページですけど内容は面白いです。
追記。公式サイトが消えて変なページになってました。映画の公式はすぐに消えてしまうので注意ですね。貴重な記事、保存しておけば良かった。
というわけで、公式サイトの出来が良いのでここで書くことがなくなってきましたが、ひとつだけ書いておきたいことがありました。
それは「丁寧な口調でへろへろでよわよわなロックミュージシャン」についてです。
ちょっと前の世代のロックミュージシャンは、ワイルドでマッチョなイメージでした。葉っぱ吸ってへろへろであっても、やっぱりワイルドさがありました。
それがある世代を境に、弱々しくて、丁寧な口調で、インテリジェンスを感じるロックミュージシャンが台頭してきます。ニューウェーヴのころですね。
私なんかはその世代なので、ワイルド不良からインテリヤクザ的な流れをそのまま体験してきました。あるとき突如として敬語で喋るようになったミュージシャンたちのひとりです。パンク系であっても、腰の低そうなこういう態度の人は多くいました。最初は面白がっていたように思います。もう一つは、激しいステージとのギャップを演出する意識も働いていたのだろうと思います。これはある種のオタク現象であると分析していまして、根っこにあるのは変身ヒーローなんですよ、多分。普段は丁寧な物腰のおとなしい人間が、ステージでは変身して世にも恐ろしいダダ・パンクになったりするという効果を無意識か意識的かはともかく、狙っていたんだなと少々思っています。少々思ってるだけで論ではないので反論不可。
で、そういう丁寧な振る舞いが楽しくて、当初は怖がられていたりしたのにその後すっかり柔らかい態度が定着してしまったりする人もおります。例えば私です。Movie Booのですます調もその一環かもしれません。
あ、そうだ。もう一つ書いておきたいことがありました。
それは煙草です。命の源、文化の証、大人のたしなみ、緊張と緩和、煙草です。
主人公は煙草を吸いません。なぜでしょう。
「それはあんたが子供だからだよ」
名シーンですね。
このセリフには最後のほうに見事な帰結を果たします。その部分も見どころで、このエピソードだけ見ればまるで「コーヒー&シガレッツ」の一つのお話のようでもあります。
煙草が嫌いなのは子供だからなのです。すごく単純な当たり前の話ですね。煙草を嫌う人がジュースやおやつやファストフードが好きで物事の複雑さを理解せず一面的な単純な思想に嵌まりがちなのも「こどもだからだよ」で説明できたりします。
最近、ほんのときどき、煙草を重要アイテムとしてとてもよい使い方をしている映画があります。例えば「星の旅人たち」がありました。
大人のお話には煙草がよく似合います。
というわけで「きっと ここが帰る場所」というほんわか系のタイトルにだまされてはいけませんで、この映画はかなり曲者です。音楽も、細部も何もかも、相当に面白いのでお勧めタイトルです。ただし大人向けです。
名演技星人ショーン・ペンの凄まじい「あるある」「おるおる」の元ロックミュージシャン、その妻で超絶味わい星人フランシス・マクドーマンド、脚本の驚くべきユニークさと斬新さ、貴重なデヴィッド・バーン、意外な展開、すべての登場人物の魅力、観るべき映画がここにあります。
べた褒めの本作ですが、じつはただ一点、気にくわないところがあります。
部分じゃなくて、全体に関わってしまうシーンなのでダメージ大きいです。ラストのことなんですけど。
あのオチの付け方は賛同しません。あれだけは残念でした。ラストの一瞬以外は超絶べた褒め映画なので、私の心の中ではあのシーンはなかったことにしています。
「いや、あのシーンは良いシーンだろ」って人も多くいると思います。この件についての意見の相違は気にしません。あまり大した問題と思ってないので。