ゲーテの「ファウスト」ですが、まず何が敷居高いって、この作品、意外と読んだ人が少ないそうなのです。はい私も読んだことありません。その恥ずかしさもあって本作「ファウスト」を観たのはいいんですが偉そうな感想文なんて書けません。いえいえ偉そうにする必要などないんですけど。しかも「ファウスト」は手塚治虫先生がご執心だったもんだから、手塚解釈版各種「ファウスト」には触れまくっていまして、その印象ばかりが強いという、そんな漫画的案配です。ゲーテ「ファウスト」をソクーロフ監督がどのように解釈したのかという重要な点について何も思えないというのは残念すぎます。でも面白く観たのでいいか。
気を取り直して、監督です。
世の中巨匠ばっかりですが、アレクサンドル・ソクーロフ監督もやっぱり巨匠のようです。でも他の作品を知りません。ですので、この巨匠にとって本作がどのように位置づけられるのかとか、そんなことは知りません。機会があれば他作もちゃんと観たいですが今はまだ知りません。だからそっち方面でも偉そうなことは何も言えません。いえ偉そうにする必要などないんですけど。でも巨匠と知らずとも面白く観たのでいいか。
「ファウスト」が我が地元で上映されてたのはほんのついこないだで、見逃した直後にもうDVD出たのかと喜んだわけですが、単に地元に来るのが遅かっただけというオチでありまして、いつものことです。でもこの「ファウスト」も劇場で堪能したかったタイプの映画でした。劇場で堪能できなかったのが悔しいほどのすんごい映像派作品だったです。
その映像は、歴史大作的な荘厳な映像というのではなくて、清らかで美しい描写を堪能できる美的映像でもなくて、私好みのあなたになりたい、いや違った、私好みの、混乱系広角系喧噪系焦燥系狂騒系胸騒ぎ系のどえげつないほどの映像です。
たくさんのオブジェクトで満ちていて、カメラがぐいぐい動き、生き物のような構図が暴れまくります。
そしてもちろん映像だけがそうなのではなく、映画全体が混乱系広角系喧噪系焦燥系狂騒系胸騒ぎ系のどえげつない系物語となっておりまして、登場人物たちも混乱系広角系…もういいか。
始終ざわついています。始終動いています。蠢いてもいます。毒気もあるし攻撃的です。
まあなんせ想像につぐ想像、溢れるイマジネーションの洪水、悲劇と喜劇の悲喜劇、リアリズムとファンタジー、とことんやります。けたたましいほどです。とにかく大好物です。こんなこと言って怒る人もいるかもしれませんが、テリー・ギリアム思い出します。
「ファウスト」といえば悪魔ですが、この「ファウスト」における悪魔は悪魔的なる金貸しでありまして、悪魔的なる人間のリアリズムみたいな設定になっています。が、もちろん悪魔でもあり、つまり悪魔でもあり高利貸しでもある二重の存在です。二重の意味合いを同列のものとして脚本に入れ込んでそのまま表現できていること自体すでにぶっ飛んでいますし、巨匠の巨匠たるゆえんです。もし巨匠でなかったら巨匠と呼ばせていただきたいほどです。
演者
悪魔であり高利貸しであるマウリツィウス・ミュラーを演じたのはアントン・アダシンスキーという人で、出演作は比較的少なめですね。魅力的な俳優です。「Süd. Grenze」という作品では監督もやっているみたいです。
ファウスト役のヨハネス・ツァイラーもいいですが、この人も日本では馴染みがありません。「ファウスト」のヒット(したのか?)を受けて、関連映画がもっと入ってきたらいいなあなんて思います。でも現実には海外から入ってくる映画は減ってくるだろうと悲観的です。
弟子ワーグナー役のゲオルク・フリードリヒはハネケの初期作品でよくお目にかかる人でした。「セブンス・コンチネント」「71フラグメンツ」「ピアニスト」「タイム・オブ・ザ・ウルフ」です。
高利貸しの妻役のハンナ・シグラも多作に出演のベテラン。68年ごろからご活躍。「パッション」「そして、私たちは愛に帰る」「ヴェルクマイスター・ハーモニー」などが個人的になじみ深いす。
マルガレーテです。
これまた不思議な雰囲気を持つ女優さんを起用しましたね。実に不思議な魅力のイゾルダ・ディシャウクです。ちょっと妙な気品と美しさです。
そんなわけですごいすごいとただ書いただけみたいな「ファウスト」の感想文でした。だってただただすごいんですもの。
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