聖地スペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指す巡礼の旅です。800kmを歩きます。この巡礼の旅は、フランスから見て銀河を辿ることにも例えられるそうです。あれ?同じ説明をどこかでしたな。そうですブニュエルの「銀河」です。あれと同じ道のりです。
そしてこの巡礼への道はカギ括弧付き「道」であります。英語で言えば「The」が付きます。原題「道」だけでは瞬間的に巡礼を思い浮かべませんから、そういうわけで邦題では「星の」とつきました。多分。でもコンポステーラへの道を銀河と呼ぶこともやっぱり普通思い浮かべませんから、そのへんはどうなんでしょ。どうでもいいですか。はいどうでもいいです。
というわけでマーティン・シーンが主演で、この巡礼への旅を行います。マーティン・シーン、久しぶりです。ちょっと老けました。もうおじいちゃんですからね。孫が巡礼コースを歩んだ際に知り合った女性と結婚してスペインに住み着くという、そういう事実が、この「星の旅人たち」が製作されるきっかけのひとつとなりました。
エミリオ・エステヴェスはマーティン・シーンの息子で、この信仰心が厚く家族思いで真面目な役者のために素晴らしい映画を用意したのです。親子三代にわたる巡礼との関わりですって。もう映画が出来るいきさつ自体がいい話です。
性根の腐ったひねくれ者の駄目人間で社会不適合者の芸術家崩れで犯罪者と紙一重の鬼畜生であるところの私は、こういういい人たちが出てくるいい話に触れると最初はドキドキして次にそわそわして、そして最後には深い感動に包まれ作った人を尊敬します。
典型とか類型とか飽き飽きした表現とか、技法的なオーソドックスを重箱の隅をつつくように批判したりする碌でなしの出歯亀野郎であるところの私は最初この映画を見ながら「エピソード、会話、モンタージュ。エピソード、会話、モンタージュ」と、あまりにも普通の演出に面食らってドギマギしていました。しかしそのうち「モンタージュの何が悪い。すばらしいじゃないか。これでいいのだ」と完全擁護側にまわります。
オランダ人ヨストのあまりにもよいキャラクターに触れてからです。最初「誰これウザ」と思わせておいて、どんどん味わい深さを表現していきます。もうね、ヨスト最高です。やさしいったらないの。
人と出会い、凝り固まった泥のメッキがぽろぽろと剥げ落ちます。巡礼への旅の中で徐々に心がほぐれてくるマーティン・シーンを追体験します。
というわけで大聖堂への巡礼の旅、ブニュエルの「銀河」とこの「星の旅人たち」のあまりの違いにのけぞります。「銀河」は捻くれていて神学論争で宗教をおちょくりまくりますが、こちら「星の旅人たち」は信仰心厚く人間愛にあふれたまっすぐなドラマです。映画の中から信仰心は感じますが登場人物は信仰心の固まりではありません。ですから宗教的な嫌みな映画では全然ないです。
物語の進行は、真っ当ロードムービーで、前半ひとりまたひとりと出会いがあって友情が芽生えて最後には唯一無二の大親友みたいになってしまうほどで、旅と旅の仲間の、普通に考えられるそのままの純粋な物語となります。何も捻らず、何も足さず、何も引きません。潔いほどの素直な映画です。旅の物語の神話です。優しさに満ちています。
映画部の奥様は言いました。「旅のいい映画を見ると、どうしても『旅のラゴス』を思い出す」私も思い出します。旅の物語に触れて「旅のラゴス」を思い出すと言うとき、それは間違いなく褒め言葉であります。
というわけでここで終わればいいものを、また余計なことを以下に付け足します。
煙草文化推進協会会員、禁煙店不買運動活動家組合員であるところのMovieBoo的には絶賛すべき事柄というかエピソードがふくまれます。つまり煙草が大好きなあの女性です。彼女は巡礼の目的地に到着すれば禁煙すると豪語するキャラクターです。「こんなものとおさらばするのよ」と言います。
形式的に宗教にハマる全体主義者や快楽を嫌悪する原理主義者は、文化的営みや享楽や個性や多様性を嫌いますから当然タバコ嫌いが多いです。
この映画は宗教臭くはありませんが根底に信仰心を持っていますから、ここで「宗教」か「信仰心」かどちらを主軸に置いているのかが試されます。
「大聖堂へ到着したら煙草をやめる」とダサい決意をしている女性が、実際に大聖堂へ到着したときにどうするのか、晴れて禁煙を実施して「煙とおさらばできて幸せいっぱい。やめてよかった」という学級委員長的ミニポリス的宗教的似非道徳的結末を迎えるのか、「やっぱり我慢できないの」と脱落した駄目人間への転落を示すのか、あるいはまた別の結末なのか、そこんところが注目されます。そしてネタバレしなくてもこの記事の褒めっぷりからどういう結末になるのかおおよそ判断できると思いますが、答えは「お見事」としか言えないハイレベルな落としどころでありました。お見事。
これが本来の倫理であり信仰心に基づく人間のありようです。それは教義や道徳の押しつけではなく、寛容と朴直です。正直さとそれを赦す心ですよ。これが人と人を結びつけ、ひいては社会を形成する基本姿勢のはずです。煙草は一例にすぎません。
巡礼への旅を描く「星の旅人たち」は、ただ単なる上っ面のいい話ではない、じつに奥ゆかしい、いい意味での道徳的な映画でありました。優しい映画をお求めの方はぜひどうぞ。
古い映画やちょっと古い映画も気にせず書き綴る紫煙映画を探せです。こんばんは。姉妹サイトというか本家のMovieBooからもネタを活用します。本日は「星の旅人たち」です。もう時効なのでネタバレ全開、煙草に関する素敵なオチについてです。「星の旅人たち」はとても道徳的な映画です。信仰心も厚い感じで倫理感もあります。いい人たちのいい物語であります。しかし肝心なところで煙草ネタをひとつ仕込んであるんですね。ここが素敵なところです。無煙さんみたいな嫌煙神経症患者が見たら「素敵な映画なのに唯一煙草の件だけは許せない。XXXXX」とか言いそうです。
本家ではネタバレ避けてお茶を濁しましたがここでは盛大にネタバレ行きますのでその覚悟でお願いします。
素敵な女性がひとり登場します。煙草が大好きな女性です。「この旅をやり遂げたら禁煙するのよ」と高らかに宣言しております。
映画の最後、無事に旅をやり遂げますね。旅の仲間も興味津々で彼女の禁煙を見守ります。
旅を終えた女性は大いに満足して、そしておおらかに旨そうに煙草を吸います。それは「旅の終わりに禁煙を目指すなどという愚かしいことをなかったことにしましょう!」っていう力強さでもありますし、「あら?禁煙するなんて言ったかしら?」と照れ笑いの逃げを打ったようでもあります。目的の遂行のために願を掛けて、それで上手くいったのだから願を掛けること自体には意味があった。だからそれでお終い、あー煙草おいしーっ、っていうさわやかな感じでもあります。
旅の仲間もニコニコと女性を見ます。心を通わせ合った仲間だからこそのこの暖かい眼差し。この終わり方の洒落ていることったらありません。このオチの軽妙さで「星の旅人たち」の印象が100ポイント上がったことをよく覚えています。
ついでに言うと、煙草を吸い、禁煙をすっぱり辞めたのが素敵な女性であるという脚本の設定もいいですね。むさ苦しいおっさんより素敵な女性がいいに決まっています。そして、煙草を吸う女性はもれなく素敵でございます。映画部の奥様もヘビースモーカーですよ。いいでしょ。
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