猟奇殺人事件とそれを追う女刑事。そして時間軸をずらして事件が起きるまでのどろどろを生きる二人の女。この3人の踏み外し系物語です。
女刑事は家庭を持ちながら奴隷系マゾの不倫をしております。流行作家の妻いずみは有閑の暇つぶしが性的転落へと向かい、娼婦美津子は金持ちの子で昼間は大学助教授の二重生活をしております。このような3人が何かにハマってずびずびと落ちていったりうじうじしたりします。淫靡で官能的、漫画的で日本的な閉じた世界から抜け出せない系の作品であります。
観た後に知ったのですが、90年代後半に起きた有名な事件「東電OL殺人事件」から想起された物語だそうです。実際の事件との共通点もありますが創作部分が多く、単にインスパイアされた程度であるという認識でいいと思います。
この事件を元にしたということを知らずに観たので私にとってはお得でした。と、いうのもこの作品、事件が起きてからの捜査パートと、事件が起きるまでの娼婦パートで構成され、普通のミステリのような「犯人は誰でしょう」じゃなくて「冒頭で殺された女はどっちの女でしょう」という見方が出来るからです。二重生活をしている美津子と作家の妻いずみのどちらが殺されるのか、あるいはこの二人とは別の誰かが殺されるのか、どうなっていくんだろうというそういう見方です。
もしかしたら「恋の罪」を観るほとんどの人が「東電OL殺人事件を元にした作品」と合点して観ていて、最初からどっちが死ぬことになるのか判っているのかもしれませんがどうなんでしょう、知らない方が楽しめるのに。と言いながらそれを書いてしまったMovie Booのこのエントリーはとんでもないネタバレをやってしまったってことですか。どうしよう。ごめんなさい。
しかし「恋の罪」はミステリー映画というわけではなく、描いているのは3人の女の閉塞感や解放、現実逃避や転落でありまして、特に性に対する背徳的な突っ走りなんかに日本独特の厭らしさを強く感じる、まあ言ってみれば少々文芸映画的な作品です。ただし描かれるストーリーは文芸というよりはやはり漫画的で、二重生活の娼婦にしろ、それをカリスマと崇める作家の妻にしろ、不倫刑事にしろ、いわゆる変身(裏)ヒーロー漫画的な単純化された存在となっています。とくに国立大学の助教授を「エリート」といってしまう点や、その助教授が広い講義室で詩の朗読をするなど、ちょっとそれ変やろという設定もちらりと顔をのぞかせます。これは後になって東電社員がモデルだったと聞き納得したわけですが、東電社員を国立大学の助教授に置き換えて「エリート」はそのまま、というのが、まあ、その、まあいいか。
「冷たい熱帯魚」では、でんでん演じる村田の強烈なカリスマ性というものが前面に出ていましたが、同じような意味で「恋の罪」の美津子さんにはあまりカリスマ性を感じません。いずみさんが美津子さんに惹かれていくのもストーリー上は納得できますがどうも無理矢理な感じで、そのため美津子さんパートがちょっと説明的になっております。
注目すべきシーンがありました。美津子さんの母親役の大方斐紗子が登場する居間のシーンです。大方斐紗子の役者としての力量を突きつけられます。やっぱオーラが桁違いに違います。思わず前のめりになります。誰かの一言でこそこそと奥に引っ込むシーンがありまして、あの姿形や歩く速度、背中の丸め方、なんかね、ぜんぜん関係ないですけど楳図かずおの漫画を思い出すシーンです。「サササッ」なんて擬音が描かれたコマを連想します。一瞬のシーンですが、当映画部では二人のうち二人ともがあのシーンでそれを感じ取ったということです。
「恋の罪」を貫いている強い力は「言葉」というものの存在です。「冷たい熱帯魚」より「愛のむきだし」のコリント朗読部分に見られる言葉の威力を大きく増幅させて用いています。
「恋の罪」より「ヒミズ」を先に観てしまったのですが、「ヒミズ」でも「言葉」の力が大きく、より完成度高く用いられています。よって、順当に作品ごとにどんどん洗練されていってると思っていいと思います。
「恋の罪」の言葉の部分、何度も出てくる例の詩がわかりやすいですね。ちょっとくどいかなと思うくらいあの詩が繰り返されます。でもそれ以外に、いずみさんが全裸で繰り返すスーパーの試食の言葉なんかに鬼気迫るものがあります。あのシーンは見ているこちらも固まります。その効果たるや壮絶です。この感じは「ヒミズ」にも引き継がれておりましたね。
園子温監督作品の何が好きって、こうした言葉の力を最大限に発揮する異化効果抜群の独白シーンです。これはもう園子温ブランドの一大特徴と化しています。もちろん、園子温監督の完全なオリジナル技法ではありませんし、山本政志監督の「スリー☆ポイント」の中でもとてつもない言葉の繰り返しシーンがあります。個人的にああいうシーンが大好きというしかありませんが、ただ園子温監督の「言葉」の存在感は映画全体を貫いていますし、言葉に対する姿勢がとても強いのでありまして、今後もどんどんああいったシーンをやって我々を凍り付かせてください。