まあ、出来映えは予想通りです。映画を観ながら他の考え事が出来るレベル。
監督のスコット・スピーゲルは「ホステル」「ホステル2」では製作総指揮だし、87年には傑作「死霊のはらわた2」の脚本を書いています。
サム・ライミとお友達で、広い人脈を持ち才能ある人間を見いだす力がある人らしいです(「ホステル3の監督は、友だちの多いスコット・スピーゲルに決まり!!」| CIA☆こちら映画中央情報局です)
だから劇場公開なしのビデオ作品とはいえ、ちょっと別の意味の期待もあったわけですが、残念ながら特に個性的な面白い部分はありませんでした。
「ホステル」の名を名乗るのがやや恥ずかしいレベル、ただ、ホステルを一旦忘れて名もない低予算のビデオ作品として観ればまあまあそれほど悪くもないかもしれません。
やや敷居が高い話かもしれませんが、映画作りの基礎的な技術について反面教師的によくわかる作品と感じました。
例えば編集です。一つのカットに無駄な時間、間延びする時間が少なくとも1秒以上あります。お尻ぷりぷりカット、軽妙な(はずの)会話シーンの人物切り替えカット、状況説明のカット、どれもこれもカット移動の際に余分な時間がくっついていて、そのためにテンポが悪く感じます。
例えば演出です。これは難しい話ですが、虚構ではお客さんに状況を説明しなければなりません。誰と誰がタクシーに乗りました。到着しました。降りました。ある方向に進みました。入り口らしきものを見つけました。と言った具合です。物語を物語る上で、芸術的表現以前に、こうした説明的描写が不可欠で、ともすればそれは虚構の退屈さに繋がります。登場したての人物が誰であるか、誰と誰がどういう関係かといった説明もそうです。
説明的すぎると単なる説明的な退屈なシーンとなり、かと言って説明を省略しすぎたり突飛な方法を取れば状況を理解されにくくなります。
映画は大抵独立したお話ですので、お客は描かれる物語の世界について何も知識がありません。説明描写がどうしても多くなります。
こうした事柄は基礎的な技術の問題で、あまり出来の良くない映画の多くが、説明描写の説明臭い退屈さに陥るか、または説明描写が下手なために何がどうなってんのかさっぱりわからないという状態に陥ります。
逆に、普段目にする水準以上の良く出来た映画では、こうした基礎的な表現力が上手すぎて意識することがそもそもありません。簡潔に人物や状況を説明し、ばっさり省略して他の要素で説明を補い、無駄なシーンを追いかけることなく物語の本流へ観客を誘導します。
低予算のビデオ作品では、こうした基礎的な部分に力を注ぐことなく、編集にこだわることもなく、説明的で退屈な、妙にだるくて間の悪い映画ができあがったりするんですね。
普段見ているよく出来た映画の技術力を改めて感じたりします。
この「ホステル3」のカットをぼんやり眺めながらそんなことを考えたりしていました。
さて内容に関してですが、今回はチェコとは無関係にどういうわけか舞台がラスベガスです。ロケ的にどうしようもなかったのかもしれません。
で、貧相な殺人閲覧クラブが出てきて、これと牢屋部分が映画セットになっています。あまりにも貧相なセットですが仕方ありません。
設定は結婚前の男とそのお友達が集まっての羽目外しパーティです。わりと興味の湧かない設定です。で、殺人クラブに囚われてドタバタするという、そういうストーリーになってます。
殺人クラブの底の浅さや安っぽさが全開で、殺戮シーンも工夫がありませんし、ボスとか幹部とかの設定の甘さにもずっこけです。最後に至っては「この場所がばれたから爆破だ。あと何分」とか漫画的展開にまで発展します。
そうしたつまらないお話の中で、唯一の救いというか「ホステル」らしいネタというか、最初から出てくる禿頭の男が面白い設定となっています。
脚本的にはかなり美味しい役割であるこの外国の男、残念ながらその面白さは演出の悪さのためにあまり生かされておりません。
Nickola Shreliという人が演じているこの男のシーンと展開だけは面白かったと思います。それにしても最後が残念な演出でしたが。
もしイーライ・ロスなら、きっとこの男をもっともっと盛り上げて撮ってくれたことでしょう。
というわけでビデオ作品「ホステル3」でした。
わりと貶しましたが、多分想像以上の低予算の中でようがんばったと思います。カットの無駄シーンを削除したら70分弱の中編になったと思いますが、そのくらいがちょうど良かったかもしれません。
「ホステル」「ホステル2」とは全くレベルの異なる作品であると、優しく見てあげるべき作品です。いやべつに見なくてもいいけど。