映画に出てくる運転シーンの怖いことったらありません。よそ見脇見に注意散漫、たいていは見ているだけで「危ないから」と心臓が縮みます。
そんでもって、近年の映画がまたリアリティを突き詰めるものだから、交通事故のシーンがある映画はほとんどどの作品も強烈に怖くて完全に心臓が止まります。
「アナザー・プラネット」の冒頭もそうです。
いきなりの脇見運転に交通事故です。強烈です。びっくりします。痛々しいです。怖いです。辛いです。
どなたさまも運転は慎重にお願いします。
で、MIT合格でうきうきしつつ星に気を取られて起こしてしまった重大事故で、主人公の超美人ちゃんローダは服役後も「後悔しかない女」になってしまいます。明るい笑顔は消え、生きる気力もありません。ローダは賢い女性ですから、自分のしでかした罪の大きさを自覚しており人生の非可逆性を痛感して最早鬱々状態です。
この映画は「もう一つの地球 (Another Earth)」というタイトルのSF作品ですが、その実態は交通事故映画です。事故を起こした加害者の罪の意識を描きます。
後悔にさいなまれ、贖罪の方法を模索します。人生を捨てようとさえ思っています。「あの出来事さえなければ」という後悔が「もう一つの地球」に目を向けさせる、そうです。現実逃避でもあり自滅願望でもある「あり得た筈のもう一つの世界」すなわちパラレルワールドを渇望する鬱女性の物語が始まるのです。
偶然にも「メランコリア」と似た時期に、宇宙や惑星をテーマにした鬱映画があったんですね。
この映画、パッケージデザインとタイトルがほんのりと記憶にとどまり、気になるほどでもなく気になっていたんですが、iTSで予告編(というか冒頭の数分)を見て「これはよさそう」と、ディスクにて手に入れて観てみました。
話はそれますが、iTSの映画コーナーは探しにくいし見つけにくいし作品少ないし目につくレビューは馬鹿っぽいしであまり使い物にならないのですが、いいところもあって、予告編と称して冒頭の映像を見せてくれるんですよ。これはかなりイカしてます。いわゆる予告編のネタバレが嫌いなので普段は予告編自体をあまり見ませんが、冒頭だけなら安心して見れます。そして冒頭の掴みで雰囲気は伝わるので、ネタバレを食らうことなく本編に挑めるんです。もともと見るつもりのなかった良い映画にこうしていくつも出会いました。
さて話を戻しまして、「メランコリア」と「アナザー・プラネット」、内容はもちろん全然違いますが、共通点が多く、同系統の映画といってもまあちょっと無理ありますが遠くはありません。宇宙的規模のSF設定世界の中で、描いているのが特定個人のネガティブな心理系物語である点です。惑星が主人公女性の鬱々とした気持ちの象徴として登場します。
そしてもうひとつ、見た目の話ですが、SF的映像の美しさが両者に共通しています。惑星メランコリアや「もう一つの地球」が、日常生活の背景に当たり前のように登場します。普通の映画ならお月さんや夕日が映るべきシーンで、巨大な青い惑星が映るんですね。日常風景に溶け込んだSF映像の美しさはこれはもう格別です。美しいし幻想的だし夢の世界の具現化のようです。
リアリズム系ドラマと宇宙的荒唐無稽シーンの融合、これは最近のトレンドでありますか。映像的に何でもありの表現技法過多の現代において、このようなシンプルな映像の根源的デペイズマン効果を体験できるのは珍しいことなのでして、アートと断言してもよいです。
日常に登場する惑星の映像は、デペイズマンの効果だけでなく既視感をも伴います。見たこともない映像、っていう感動ではなく、すでに空想してきた映像、夢で見たような気がする映像って感じです。
待ち望んでいた映像ということで、連想するのはかつて昔に観た懐かしや「未知との遭遇」であります。
「未知との遭遇」をはじめて見たときは、高速道路沿いを飛ぶ宇宙船や山間のミニサイズUFOの戯れを見て驚愕したものです。その驚愕は見たこともない映像に触れたからではなく、夢で見るUFOとそっくりだったからです。
「日常風景に溶け込むデペイズマン的SF映像」も、夢で見る景色ですね。たぶんこうしたイメージはある程度普遍性を持っていて、多くの人が同じような景色を夢で見たり空想したりしてきたんじゃないでしょうか。
加害者意識に苛まれる落ち込んだ女の子の背景に浮かぶ青い惑星。この異常かつリアルかつ地味な映像は、本作の全体を包む雰囲気にも合致していて大きな効果を上げています。
「アナザー・プラネット」の本当のタイトルは「アナザー・アース」で、惑星は地球のことです。この作品はパラレルワールドを扱った物語です。
どういうわけか映画業界の人は「アース」という言葉が嫌いなようで、原題にアースがついていたらプラネットと置き換える癖があります。「ナイト・オン・ザ・プラネット」も原題は「ナイト・オン・ザ・アース」でしたからね。
殺虫剤と思われるのがいやなのかどうなのかわかりませんが、事例も二つしか思いつきませんしこの件はどうでもいいですね。
えー、さて、パラレルワールドってことばは昔はSFで使われる専門用語でしたが今は誰でも知っている言葉です。多重世界、多層世界ですね。SFでパラレルワールドものというとタイムパラドックス関連の都合の良い解釈系が多いと思われるかもしれませんが、ニューウェーヴ以降は「世界」の概念が精神内部に向かうようになったために、個人の心理方向に向かうパターンも少なくありません。「そっくり同じ別の世界」の概念が精神と結びつくと、逃避、悲劇、絶望、後悔といったネガティブな方向と相性が良いですし、技法はリアリズム寄りになってきます。
そんなわけで青い惑星は地球なのであって別の惑星ではありません。「メランコリア」のメランコリアはとてつもなくでかいブルーな惑星なんていう象徴的な存在でしたが「アナザー・プラネット」の地球はそっくりそのまま地球です。宇宙系SFではなくパラレルワールド系SFとして、真っ当に文芸的。つまり本気のSFです。この映画は割と珍しい「正真正銘文学としてのSFを映像化した作品」なんですよ。そこを間違っちゃいけません。
最近の他の映画との比較でもうひとつ名を出したいのは「ミッション8ミニッツ」です。SFを直球で映画化した点に着目すれば、「メランコリア」よりむしろ「ミッション8ミニッツ」と並べてあげたいと思えたりします。どちらの作品もパラレルワールドをテーマにしており、優れたSF映画である点が共通しています。
映画は多様化し、すでにジャンル分けは崩壊しているし娯楽か芸術かなんていう議論も空転しています。SF映画もいわゆる普通の人がぱっと想像する「SF映画」という範疇から少々逸脱した質の高い作品が作られるようになりました。これはたいへんよいことであると思っています。
「アナザー・プラネット」の良さはさらに細かいところでも発見できます。良さというか、ここからは個人の好みの問題でありますが、主人公女性ローダがめちゃ綺麗・・いやそうじゃなく、この綺麗なローダちゃん、この人が賢い人であるというところです。賢い人だから他人に感情移入できるし、だからこその絶望でありまして、で、賢い人ならではの内向的な仕草をシナリオ上や演出に取り入れており、そのあたりが傲慢な人間ばかり出てくる印象の一般の娯楽映画とちょっと違ってます。単なるうじうじうじ子ちゃんという稚拙な表現でもないです。賢さは大事です。「サンダンス系」などと言っては失礼なんですが、いわゆるサンダンス系にはこうした賢い登場人物がよく出てくるのでして、アメリカ映画も全然捨てたもんじゃないということがよくわかります。
この賢い女性ローダを演じたブリット・マーリングという女優さんですが、この人が本当に賢い人らしくて本作「アナザー・プラネット」では主演のほかに監督と共同で脚本を書いています。そもそもゴールドマンサックスの人だったそうで、その後は製作や脚本に関わるところからキャリアをスタートさせているという、かなりの才人であるとお見受けしました。今後が楽しみです。
監督のマイク・ケイヒルって人も若いのに才人で、ナショナルジオグラフィックで撮影やなんかの仕事をしていたそうですよ。美しい景色の映像、下地がちゃんとあったんですねえ。ナショジオ系と聞けば、とたんにこの映画に興味を持った人もいるかもしれませんね。アイザック・アシモフやカール・セーガンが大好きだそうです。
結論ですが「アナザー・プラネット」はとても良い映画です。
映画祭でも高い評価を得たそうで、受賞も果たしました。それも納得。一部時々つまらないシークエンスもありますが(のこぎり演奏のとことか)作った人たちもきっと「あのシーンは失敗したな」「そやな」「次はもうちょっとビシっと締めなあかんな」「次は締めよな」と、反省会でそんな会話をしてたはずなので(妄想)些細な欠点をあげつらうのはやめて素直に面白かったと思いましょう。
日本では公開なしのDVDだけなんですってね。もったいないですね。大きなスクリーンに映える作品ですのにね。
サンダンス映画祭特別審査員賞受賞
インディペンデント・スピリット賞新人作品賞・新人脚本賞受賞
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