ちまたで評判の「ゴーストライター」を堪能しました。
評判通りと言いますか、観る予定だったので評判も含めて情報を遮断していたのですが、かすかに感じる評判の香り通り、たいへん優れた映画でした。
何と言いましょうか、いい意味で「古い作り」というのかな、昔の良質なミステリーを彷彿とさせる「とても映画らしい映画」と言うのが率直な感想です。
特に大袈裟なわけでもなく、奥ゆかしい美しさを漂わせ、奇をてらうカメラアングルやカット割りを用意するでもなく、上品な間合いと落ち着いた演技できっちり魅せます。台詞回しもそうですね、演技と映像とカットの時間配分、それにぴたりとはまります。
ロバート・ハリスの原作を本人が脚本化しており、セリフの上品な小気味よさは文芸的ですらあります。
「ゴーストライター」の冒頭はフェリー乗降場で一台だけ動かない無人の車です。いい映像ですね。不穏を予感させます。そして海辺に横たわる死体。
鉛色の冒頭を経て、主人公のライターが元首相アダム・ラングの自伝を執筆するゴーストライターの仕事を引き継ぐお話が始まります。
米国東海岸の離島に滞在中の元首相を訪ね、新任ライターは取材を開始します。
英国元首相の自伝、前任者の死と遺した原稿、舞台は離島、新任ライターが主人公、もうそれだけで怪しい陰謀の香り満点です。うがった見方をすれば「当たり前」な陰謀サスペンスを予想できます。
しかしその「当たり前」感をことごとく裏切る巨匠ロマン・ポランスキー監督の手腕に触れて観客は感嘆の声を上げるでしょう。そうです。並のサスペンス劇場とは訳が違うのです。
観ている最中には映画技法の虜に、そして見終わってから反芻することによる深いドラマ性に気づくはずです。
「ゴーストライター」の魅力のひとつは古典映画的な名演出にあります。丁寧で綿密、繊細で的確な描写により、出来事と人物をそれとなく描き尽くします。昔の良質ミステリー映画を彷彿とさせる落ち着いた風合いと間の取り方は絶品の一言、美しさすら感じます。「これぞ映画」と、思わず目頭が熱くなります(やや大袈裟)
誰が見ても政治的陰謀を予感する前任ゴーストライターの死ですが、この映画ではそういうお約束的前提をきっちりなかったことにして話を進め、「実は殺されたのでは」という主人公の疑惑とその確信に至る過程を時間をかけて描きます。この丁寧さがたいへん魅力的なのです。
お芝居としての作られた面白さと、細かい部分の妙なリアリティがこれまた不思議なバランスで映画全体を包み込みます。
島に住む老人の語りや、大学教授の家のシーンのようなまるで舞台芸術のようなミステリー劇場もあれば、主人公が強盗に遭ってショックを受けている時の電話シーンや、亡くなった人の部屋をあてがわれたときにベッドの下から前任者のスリッパが出てきて、これを気持ち悪そうに摘んで捨てるシーンなど、細やかなリアリティある演出もあります。こういった細やかなシーンはよく見ていると随所に噴出しておりまして、時にリアリティ、時にコミカルと、その配置もすごく練られています。
さて役者です。ユアン・マクレガーを主人公にしたこの人物造形は完璧すぎて笑っちゃうほどです。ユアンはいつまでたっても「トレイン・スポッティング」の呪縛から逃れられず、途中スーパースターになるべくいろんな男前の役もやりましたが持ち前の弱々しさと演技力のアレからぱっとしませんで、最近ではもっぱら弱々しさと演技力のアレさを強調した居直り路線で活躍されております(「ヤギと男と男と壁と」「フィリップ、きみを愛してる」)
で、「ゴーストライター」の主人公がこの人にぴったりフィットのはまり役で、キャスティングの妙技というか完璧さを痛感することになるのです。
主人公のゴーストライターは、基本的に政治に無関心です。政治陰謀ミステリーなのに主人公が政治に無関心という、この設定が無茶苦茶効いています。
立派な小説家にもなれず、強い正義もなければ賢い立ち居振る舞いも出来ず、うっかりさんでお人好しで、好奇心も猜疑心もあるのに人を信用しすぎだし、深く考えなしに迂闊なことするし、勝ってないのに勝ち誇ったり、もう情けないやらアホかおまえはーっと言いたくなるやら、そして映画を見終えたら悲哀をも感じさせるという、これは脚本も凄いし演出も凄いし、演技は結果的に凄いという、そういう映画的すばらしさに帰結します。
英国元首相を演じるのは007の何代目かも務めたピアース・ブロスナン。この人も「ただ男前なだけの俳優」なんていう不名誉と戦ってきた人で、まあはっきり言って演技も上手いのかどうなのかよくわからないある意味ユアン・マクレガーと被る人ですが、この人の「ゴーストライター」における立場もすばらしいものがありました。
映画中ひとりで浮きまくっているこのアメリカかぶれの元首相、これも映画を見終わって彼の人生を反芻するとですね、そこには大いなる悲哀が横たわっていて、深い同情心がわき起こるのを禁じ得ません。
元首相の妻はエキゾチックで美しいオリヴィア・ウィリアムズです。「シックス・センス」の奥さんでしたね。「ゴーストライター」の中でもとても不思議な役回りでした。
秘書はキム・キャトラルです。この秘書の役もいい案配でした。ちょっと怖そうで謎性もあって、でもやっぱり最後には哀愁が多少あります。
その他の人物も、ちょい役も含めて全員なんか心に引っかかる演出を施されています。みんな味わい深いですよ。
「テープに録音」「いえ、ディスクです」とか、鉛色のどんよりした映画の中でたくさんの洒落たおもしろいセリフが配置されていて、暗くなりすぎぬよう細心の注意が払われています。人物描写の味わい深さにも一役買っていて、こういった丁寧さがこの映画を貫く魅力だと思います。
ロマン・ポランスキーと言えば少年の頃に見た「ローズマリーの赤ちゃん」でずっしーんと持って行かれてから巨匠と認識していますけど、一般の巨匠と違ってこの方の巨匠感は芸術的な方面でなくやっぱりエンターテインメントにやや寄っているのがかっこいいです。かっこいいし、だからこそ芸術家なのであるとも思えてしまいます。
「ローズマリーの赤ちゃん」にしても、少年にだってその魅力が強く伝わるんですからね。とってもわかりやすい、かと言って全然軽すぎないこの方の才能がうかがえるというものです。
比較的最近作では「戦場のピアニスト」がありますが、「ゴーストライター」がただの陰謀サスペンスかと思ったらそうではないってのと同じく、ただの戦時の感動物語かと思ったら全然ちがっていて、やはりあまり深くものを考えない主人公が他人の手助けと偶然でもって飄々と生き延びるとてもへんてこな映画でした。それでいて見終わった後にずっしりくる映画作りの匠の技が冴え渡っているのでありまして、巨匠の巨匠たる所以だなと思わないではおれません。
Movie Booでは「吸血鬼」でちょっとだけロマン・ポランスキーの歴史に触れてますので繰り返しませんが、政治的な思想が「ゴーストライター」に若干にじみ出ています。「アメリカのポチ」ブレア首相のような元首相アダム・ラングの描き方ひとつ見てみても、とても複雑な処理を施していることがわかるでしょう。複雑な処理を経て「若干」の政治的な思想が見え隠れする奥ゆかしさと潔さをきちんと受け止めましょう。
釈放されてすぐに撮ったのがこの「ゴーストライター」なのでしょうか?いや、釈放された年が公開年ですから、拘束前に撮られていたんでしょうか、よくわかりませんが、ご本人的にはあれこれと大変な時期であったことも「ゴーストライター」の複雑さの要因かもしれません。
この映画は至るところで要注目の綿密な描写が噴出します。
見終わった後、シーンごとの反芻をひとつひとつ行えば何時間も楽しめます。ネタバレ系サイトでないのでここには書きませんが。
そういった楽しみ方で夜中までわーわー喋りあえる見どころだらけの作品なのでして、実際に我が家の映画部では「映画の面白さと、ビールと夜中時間の消費量が比例する」という定義を再確認できた最高に良質の一本でありました。
ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)
セザール賞監督賞および脚色賞