冒頭は印象的なシーンです。ふてくされた風貌の若い主婦がスーパーで冷凍食品を買いまくり、家でそれらを全てチンして食卓に並べ、夫と娘の三人家族が黙ってそれを食べます。
ドンドコドンドコいう音楽とピカピカ光る文字の大写し。お、これはギャスパー・ノエの香りです。かなり似ています。でもカッコいいのでOK。
この社本という名の一家は小さな熱帯魚店を営んでおり、家族の心はばらばらであるようです。夫である主人公社本は気の弱そうな男です。
食事もそこそこに遊びに出る娘。しばらくするとその娘が万引きで捕まり、夫婦はスーパーに呼び出されます。
万引き娘を怒れるスーパーの店長から救ったのは馴染み客らしい村田という男で、ここで登場するこの村田という男こそ本編の真の主人公、大きな熱帯魚店のカリスマ経営者、まくし立てるような饒舌と有無を言わせぬ行動力で人を引き込む男です。
でんでんという役者が演じるこの村田と、村田に翻弄される社本の姿こそが本編の見どころ。笑顔と饒舌でぐいぐい押してくる村田のキャラクターは、多くの人が現実に似た人物を思い浮かべるかもしれません。人の都合や言うことをあまり聞かず、躁病的にはしゃいで面白い人物と印象付けて営業能力を発揮するタイプです。常に自分が場の中心で全ての人物のボスであると思っており、虚言や自慢が多いことも特徴。町の社長さんやある程度成功している自由業者に多いタイプです。ある程度このようなタイプでないと事業を成功させることは難しいのであり、営業や接待でこういうタイプを演じることを自覚している人もいるかもしれません。
そして気が弱くて我の強さを表現することが苦手な社本のようなタイプの人間も現実により多く存在します。村田のようなタイプにごり押しされて流されてしまい、いつの間にか本当に家来のような立場に立ってしまう人間です。
強引な村田と気弱な社本が繰り広げる前半の展開はかなりの面白さです。胃に物が詰まったような不快感に見舞われること請け合い。いやないやな感じに動悸が速くなってしまうかもしれませんよ。
この前半の展開におけるクライマックスは出資に絡む会議室のシーンです。この会議室のシーンは本編の中でも抜きんでた出来映え、観る者の不快感はピークに達します。そのピーク時に大きな展開を見せます。あまりにも見事な演出、あまりにも見事なでんでんの演技です。
さてそんなこんなで不快指数100%のこの映画は怒濤の展開を見せるわけですが、全編見終わった後は少々残念な気持ちにも陥るかもしれません。
そして本編クライマックスからエンディングまでがだらだらしてしまいます。 「お、そろそろ終わりだな」という怒濤の展開から本当に終わるまでが無駄に長いのはつい最近「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」で感じたのと非常に似ています。それまで描いてきたリアリズムが突如漫画チックになってしまう点も似ています。最後の展開は「へ?」て感じです。
こういうのって、どういうんでしょう。
映像の力っていうのは凄いもので、多分作り手が思っている以上に観客には印象を残します。「冷たい熱帯魚」も「ヌードの夜」も、あるシーンの繰り返しが登場しますが、繰り返しを表現するために本当に繰り返す必要があるのかという疑問が湧いてきます。繰り返されているというシナリオ上の設定は大抵一度のシーンで皆が繰り返されているんだと納得するものです。それをまたシーンとして繰り返すのだから、どうしても尺が長くなってしまうんですよね。
とまあそんな話はともかくとして「冷たい熱帯魚」は多少の尺の長さや漫画的クライマックスをものともせず面白い映画です。漫画的クライマックスに関しては評価の分かれるところでしょうが、そもそも園子温監督作品は基本漫画的であるのであれでいいのだという納得も出来ます。前半がリアルすぎることと尺の長さが原因で深みのあるリアリティ映画としての展開をつい望んでしまいますが、そこそこぶっ飛んだ漫画的展開はこの監督のひとつの特徴であるということは「愛のむきだし」でも明らかです。
つまり、ちょっといちゃもんをつけるようなことを書いてしまいましたが、それはこの映画が水準以上の面白さでついうっかり歴史的名作扱いをしてしまいそういうレベルで高望みをしてしまった上での純粋客のよくあるいちゃもんであると、とそういうことであります。・・・と、言い訳を付け加えておきたいとおもいまして。はい。
「冷たい熱帯魚」は1993年に埼玉で起きた愛犬家連続殺人事件をベースにした映画です。猟奇的で躁病的で恐ろしい事件でした。ペットショップを熱帯魚店に置き換え、細部の一部に関して忠実に事件を再現しています。
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