またちょっと古い映画です。ちょっと古めの映画のことを書くと、どうしても個人的体験のお話になってしまいどうもすいません。
この映画が公開された当時は「エクソシスト」を中心にホラーブーム真っ盛りで、映画館には怖くて行けないけど興味津々で「ロードショー」と「スクリーン」を貪るように舐め回すように読んでいました。沢山紹介されているホラー映画の中で特に興味を持っていたのが本作デ・パルマの「悪魔のシスター」とアンディ・ウォーホール監修の「悪魔のはらわた」の二作でした。この二本の予告編やスチール写真の個性は他の映画を圧倒しており、カラー写真で特集が組まれている「エクソシスト」の傍らでのオマケのような扱いながら、その芸術的で悪夢のような強烈なイメージは私の脳味噌を直撃、妄想かスチール写真か記憶の中で区別がつかなくなるほど印象を強く植え付けました。
さてそれから35年。デ・パルマ師匠の映画は「キャリー」に始まり「フューリー」から「アンタッチャブル」「ミッション:インポッシブル」まで結構観に行きましたが何故かこの「悪魔のシスター」のことは記憶からそぎ落とされておりましたのでございます。
そのわけは明らかです。少年の頃に触れた「悪魔のシスター」のスチール写真や予告編の怖さがトラウマとなり、防衛が働いて記憶の底に封印されたのです。実際にはスチール写真が怖かったというより、スチール写真から想起される自ら作り上げた架空の恐怖なんですが、だからこそ尚その恐怖心は並大抵ではなかったのでしょう。
「悪魔のシスター」などのホラー映画が日本で公開されて2年後には、ダダやシュルレアリスムやアングラ映画の連続上映などにいそいそと出かけております。子供の成長は早いのです。そういった芸術映画や悪夢のような映画にどっぷり浸かりながら、「悪魔のシスター」と「悪魔のはらわた」のスチール写真を思い出したりしていました。共通点を十分嗅ぎ取っていたんですが、あながち間違いでもなかったと後になって思います。
さてそんな強烈イメージはこの映画の後半、あるフラッシュバックシーンにて堪能できます。今では珍しくもないその技法、これは当時斬新だったのではないでしょうか。今でも十分なインパクトです。恐怖にかられて記憶を封印してしまうほどのシーンかどうかはもはや私には判断出来ません。断言できるのは、こういう技法のこういうシーンが大好物であるということだけです。そこにある要素は「ノスタルジー」と「夢」です。
個人語りはいい加減に切り上げて、この作品の面白さはダダ的シュルレアリスム的芸術的悪夢的シーンだけではありません。
言い尽くされているヒッチコックのオマージュシーンだけでもありませんで、この作品に含まれるユーモアがこれまた大好物。登場する探偵に絡む間合いとわびさびのコントのような筋立てがいい味を出しています。あからさまなギャグでもなく、面白がっていいのかどうか観客が迷うような絶妙の演出です。これはハイセンス。
冒頭とエンディングも素晴らしいのです。冒頭は艶めかしく怪しい黒人男性と白人女性のドキドキシーンなのですが意味不明も甚だしいシークエンスです。すぐに「覗き」というテレビ番組のシーンであることが示されるのですが、何とも不思議な冒頭です。何がどうなのかさっぱりわからず、観客は誰をどのようなつもりで見ていいのか決めかねるんですね。その調子のまま事件が起こってしまうのだから酷いもんです。
デ・パルマの作品は技巧ばかりであるという批判があるんですか?今ちょろちょろ読んでいて始めて知りました。へえ。デ・パルマは技巧の人なのか。知らなかった。でも技巧大好き。
そして映画史上に残る伝説のあの素晴らしいラストシーンを迎えて、この映画が最初から最後まで見どころだらけでいろんな要素が詰め込まれていて気合いが入りまくりでしかも力が抜けていてシュールで悪夢でコントでヒッチコックというぶっ飛び映画の傑作であったと改めてというか初めて認識した我が家の映画部でありました。
2009.09.09
デ・パルマ師匠はいろんなタイプの映画を撮る人ですから、ヒッチコックへのオマージュ以外、作風とか特徴とか、あまり考えたことがなかったのですが、画面分割や長回しやスローモーションや個性的アングルなどやはり技巧的な特徴があるようですね。そういわれればそのような気もします。
それと徴兵忌避者であった人なんですね。そっち系の人だとは「リダクテッド 真実の価値」を観るまで全く知らなかったんですが、反戦というか、兵士を人でなしのように描く映画をいくつか撮っているそうです。いいですね。師匠、今まで知らなくてすいません。
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